Opinion : 未知の課題に直面したとき (2020/2/24)
 

物書きが記事を書くとき、書き手の側から「このテーマはどうでしょう」とネタを投げるケースと、「このテーマでお願いしたい」と依頼をいただくケースがある。

もちろん、オーダーする側も書き手の得手・不得手は心得ているから、「こういうテーマならこの人に」という引き出しをいろいろ持っているはず。よって、自分のところには、第二次世界大戦がらみの話は、まず来ない。

来ても全力で逃げる。

書き慣れたテーマ、あるいは書き慣れた様式の記事だったら、頭の中に基本的なテンプレートがあるから、ササッと書ける。でも、そういうことばかりやっていると進歩がない。だから、ときどき違う芸風に手を出すことがある。

逆に、ときどき、普段と違う内容の依頼をいただくこともある。さすがに「これは無理」というときにはそういうけれど、「頑張ればいけるかも」と思ったときには承けて、後でウンウン悩むことになる。

ちょうど、そうやって難産だった原稿をひとつ仕上げたところ。とても悩んでしまい、最初は「原稿用紙が真っ白に見える」の境地を味わったけれど、なんとかなった。たぶん、これで自分の中の引き出しはひとつ増えたと思う。


しばしばいっていることだけど。日本の個人や組織って、「すでに確立されたルール、すでに確立された勝ち方」の枠内で、さらに改善を図るのは得意だと思う。でも、そうやって勝ちを極めた途端に、ゲームのルールをガラリとひっくり返されるのは、よくある話。

派生パターンもある。「勝手知ったる勝ちパターン」に拘泥した結果、相手が違うゲームのルールを持ち出してきてしまい、対処できずにアタフタしているうちにボロ負けした。というのがそれ。

つまり、「ゲームチェンジャー」どころか、「ゲームチェンジされちゃったー」なのである。そして、ゲームのルールがガラリと変わったとか、未知 or 未経験の脅威に直面したとかいう場面で、臨機応変かつ粘り強く対処できるんだろうか、という疑問がある。

むしろ、新手の脅威に対して既知のルールで立ち向かおうとしたり、未知の脅威に直面した途端に「あーあ、もうダメだ」とぶん投げちゃったりしていないだろうか、と。そんな調子では、奇襲、特に技術的奇襲に対して、めっぽう弱くなってしまう。

そして、壁にぶち当たったときの粘り腰が、どうも足りないように思える。粘らないで、「思い切って散ってしまえ」といって、当たって砕けてしまうことの方が多くないですかね ? と。

そこで「厭世的無常観」より始末が悪い「厭世的破滅主義」が存在するんじゃないか、なんてことを考えているのだけれど。それについて書き始めると長くなりそうなので、別の機会にしたい。


未知の脅威、未知のゲームのルールだと、当然ながら答えを書いた教科書なんて存在しない。すると、表面的な「解法」ではなくて、脅威やルールの本質、強い部分や弱い部分を見極める、ということになるんじゃなかろうか。

それと平行して、自身の強い部分や弱い部分も見極める。で、自身の強い部分で相手の弱い部分を叩けないかどうか考える。何でもそうだけど、彼我の長所と短所、強みと弱みを見極めるところから、ゲームチェンジャーが始まるんだと思うから。

当然、その過程では試行錯誤や失敗がついて回るだろうけれど、そこで例の「失敗に対する不寛容」や「100% でなければ要らない主義」が出てくると、却って問題解決から遠ざかる。

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