Opinion : 厭世的破滅主義 (2020/3/2)
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今週のお題は「厭世的破滅主義」あるいは「厭世的破滅主義者」。
前に「厭世的無常観」という言葉を持ち出したことがあったような、なかったような。ただ、それよりも「破滅主義者」の方が、タチが悪いと思う。一応、いいだした手前、定義のようなものを書いておこうかと。
今の世の中が、自分が信奉する、あるいは理想とする方向に進んでいなくて嫌気がさした挙げ句に、何か事件や災厄があると、それが破滅的な方向に進むことを願っている、あるいは願っているんじゃないかと受け取られかねない言動をする人。
たとえば、今の時事ネタだと新型コロナウィルス肺炎。以前だったら震災とか原発事故とか。お題はいろいろあるだろうけれど。
たぶん、漫画の一シーンを思い浮かべていただけると分かりやすいと思う。地面に膝をついて、両手を上に挙げて、目が血走ってて、「もう終わりだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」と狂ったようになってしまっている、そんな場面。
たぶん、何らかの希望を持ち続けている人だと、難局に直面しても、なんとかして切り抜けよう、乗り越えようとするものなのだろうけれど。ところが、今の世の中に嫌気がさして厭世的になっていると、そういうエナジーが出てこなくなる可能性がある。
そして「自分の理想から程遠いところにある、こんな駄目で分からず屋な世の中は滅びてしまえばいいのだぁ」となってしまう。それが「厭世的破滅主義者」ということになるのかなと。
「○○反対」の旗印を掲げる人が往々にして「○○は危険だから反対」と主張するために「○○の重大事故」を祈念するようになってしまう、つまり「起きて欲しくないという主張のために起きて欲しいと願う」というパラドックスにはまり込む。これは意外とよくある話。
ただ、「まずい事態になることを願う」という点で「厭世的破滅主義者」との類似性があるものの、前者の対象はもっとピンポイント。国とか社会とかいった、大きな単位じゃない。対して「厭世的破滅主義者」の場合、その大きな単位での災厄に直面すると「もうダメだ、おしまいだ、滅びてしまえ」のスイッチが入る。
その先で、「自分も一緒に滅びてしまえ」となるのか、「世界は滅びるが自分は生き残る」(ノアの箱舟かよ) となるのか、はたまた「ソドムとゴモラを焼き払う神の心境」になるのか。そこのところは正直いって分からない。
ただ、「厭世的破滅主義者」に多少の商才が伴っていれば、「終末ビジネス」に手を染めて一儲けできるかも知れない。「世界は滅びてしまうかもしれないが、○○すれば生き残れますよ」という形で。
個人的に、「厭世的破滅主義者」の何が嫌なのかといえば、本人だけでなく周囲にも、ネガティブなムードをばらまいてしまうこと。個人レベルでクサろうが厭世的になろうが、それは個人の自由。でも、周囲の人間まで巻き込まないで。
心理的な、ある種の自己防衛で「楽観的に見積もっておいて裏切られるぐらいなら、悲観的に見積もるぐらいの方がいい」というのがあるけれど、それとて程度問題。「ふははは、もっと墜ちろ、墜ちろ、地獄に墜ちろ」的な言動になると度が過ぎる。
「みんな滅びてしまえばいい」的な態度は、問題を解決する、あるいは解決する方向に向かわせようと努力してる人を愚弄してると思う。
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