Opinion : フェイクとファクト (2020/3/16)
 

なにも疫病騒ぎに限ったことではないけれど、事件・事故・災害・戦争などの突発事に際して真偽のほどが定かでない話が飛び交うのは、昔からのこと。ただし近年、その流言飛語のスピード化が著しい。理由はいうまでもない。

半分冗談、半分本気で、ときどき「ネットの噂も 75 時間」なんていっているけれど、実際、3 日もすれば次の「ホットな話題」に移ってしまっているのは、結構ありがちな話だと思う。

1 月に、ソレイマニ爆殺の後で「第三次世界大戦だ !」と大騒ぎしていた人達。もうそんな話はコロッと忘れて、今頃はコロナウィルスの話に夢中になっているんじゃないだろうか。知らんけど。

怪しい流言飛語が飛び交うと、「それは事実か ?」と確認しようとする人が出てくる (こともある)。ことにネット上の流言飛語が看過し得ないレベルになっているからなのか、最近、ちょいちょい「○○のファクトチェック」という看板を見かけるようになった。


それは悪いことではないのだけれど、「ファクトチェックがトレンディだ」ということになると、きっとそのうち、言葉の濫用が始まる。つまり、気に入らない言説を手当たり次第に「ファクトチェック」と称してウソ呼ばわりして、つぶそうとする人が出てくるんじゃなかろうか。

すでに似たような先例がある。「フェイクニュース」である。この言葉が流行り言葉になってからこちら、気に入らない記事があるとすぐに「フェイクニュース」呼ばわりする、そんな人が増えてきていないだろうか ?

自分が環球時報にやられた一件。あれこそ本物のフェイクニュースである。当の本人がいってもいない、書いてもいない発言を捏造して、記事にしてしまったのだから。これをフェイクニュースといわずしてなんというか。

でも、世の中、そういう「真のフェイクニュース」ばかりとは限らない。自分が見たくない、聞きたくない、信じたくない話が流れてきたときに、「フェイクニュースである」ということにして、自分やお仲間を納得させようとする。ありそうな話ではある。

そこでキモになるのは、「フェイクニュース」が「世間的に認められた悪役である」というところ。それだから、気に入らない記事に貼るレッテルとしては都合が良い。

「ファクトチェック」の場合にはベクトルが逆で、「ウソを排除する正義の味方」という受け止められ方をしている。となると今度は、気に入らない言説を排除するためのパワーワードとして使いたくなるだろう、というわけ。

「ファクトチェック」というキーワードに飛びついて、それを「気に入らない言説を排除するための道具」としか見ない人が増えれば、エビデンスがない、あるいは怪しいエビデンスに立脚して話を展開するケースが増えるんじゃないかと。

そしてそのうち「ファクトチェック」のインフレ (?) が起きると、「ファクトチェックのファクトチェック」が現れて、そこからさらに (以下略) なんていう、コントみたいなループになるやもしれぬ。


「真実」という言葉、本当に真実である場合と、頭に「○○にとっての」と付く場合がある。構成員に対して自由な情報アクセスを妨げているような体制ほど、後者の「真実」が増える。独裁的・閉鎖的な国家しかり、カルト宗教しかり。

往々にして、「真実は隠されている !」ばかり連呼しているような人ほど、「自分にとっての真実」を希求してしまっているんじゃなかろうか。そういう人だと、上で書いたような「ファクトチェックという名の異論封じ」に走りそう。

ともあれ、「○○をファクトチェックしました」と謳う投稿にも注意した方がいいかも、というお話。これまでも、そして今後は一層。

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