Opinion : 世間が騒がしいときに平静を保つ (2020/5/4)
 

世間が何かのせいで大騒ぎしているときに、平静を保つのって難しい。でも、平静を保つことができずに、不安や焦りや熱狂に釣られてしまうと、たいてい、後で後悔することになると思われる。

自分の場合、東日本大震災の時にはいまひとつだったという自覚があるけれど、今は比較的、平静に過ごしていられる部類だと思ってる。いや、元号は平成じゃなくなっちゃったけど。

そういえば、ほぼ 20 年前の事故の時にも、パニクった… といわれそうな事態にはならなかった。割と落ち着いて対処したり、状況判断できてたりしたと思う。まぁ、あそこで状況認識・状況判断を誤ってたら、今頃はお墓の下だけれども。

未だに、なんであのとき、あんなに落ち着いていられたのかは分からない。


で。あまり役に立たないような気がするけれど、昨今のような状況下で「平静を保つにはどうすればいいか」なんてことを書いてみようと思った。

その一。開き直る。あちこちで繰り返している話ではあるけれど、人間、死にそうな目に遭って助かると、ある種の開き直りのようなものができる傾向があるように思う。

「もしも死んじゃったらどうしよう」と不安に取り憑かれているのと、「なーに、一度は死に損なった身で、その後の人生はオマケみたいなもんだから」と開き直った人と比較すれば、たぶん、後者の方が強い。(自分の場合、一度で終わっていないのが問題だけど)

その二。その「不安に取り憑かれる」と関係する話だけれど、不安に取り憑かれているときは、どういうわけか、不安の原因についてあれこれ調べ始めてしまう。

昔みたいに新聞・テレビ・週刊誌ぐらいしかソースがなかった時代でも、この辺が往々にして「大変屋」であって、不安を煽るような話ばかりどんどん流してくる。なのに当節ではそれに加えて、ネット上に「大変屋」がたくさんいる。そういうのが、ググればポンポンとヒットしてくる。

で、不安をかき立てるような情報を集めて目の前に積み上げて、ますます不安になる。不安になるとまた情報集めを始めて、さらに不安の元を目の前に積み上げてしまう。悪循環である。

前に、実家から電話がかかってきたときに「テレビが COVID-19 の話を始めたらスイッチを切っちゃえ」といったけれど、それは、見れば見るほど不安の元が積み重なると思ったから。

自然災害が起きたときの被災地の映像にも、似たようなところがあると思う。もちろん、そこに身内親戚友人知人がいるとか、仕事に関わる場所だとかいうなら話は別で、気になるのは無理もない。でも、そうでなければ、市井の一般市民が現地の状況について詳細な情報を求めても、そこでできることは限られてる。

それが、その三につながるのだけど、「いま自分にできることに集中する」。いいかえれば、自分がワァワァいってもどうにもならないことについては、スパッとスイッチを切って遮断する。

どうにもならないのに、どうにかしようとすれば、必然的に未達になってストレスの元。努力してどうにかなることと、努力しても何してもどうにもならないことがあるわけで、そこの見極めができないと、どうにもならないことに囚われてメンタルを壊すんじゃなかろか。


「いまできることに集中」といえば。平素以上に自宅にいる時間が増えた結果として、うちでは最近、過去に撮った写真の RAW 現像やり直しを鬼のように進めている。元がダメダメなら、いくら DPP や Lr でいじくっても駄目だけれど、意外とリカバリーできるものもある。

あと、現像パラメータのいじり方についても以前よりノウハウが溜まっているから、以前は駄目だと思ったものが、いまやるとリカバリーできたり、仕上がりが良くなったりすることもある。

最低なのは、ベースになる RAW を保存してませんでした、ってやつ。

これ、単に手持ちのストックフォトのクオリティが上がる、というだけの話ではなくて、在庫の棚卸しにもなっている。結果として、「これを撮っておかなければ」とか「これは撮り直さなければ」とかいう、宿題リスト作りにもつながる。

それに、写真いじりに専念するのはそれなりに楽しいし、結果として平常心を保ち、メンタルを壊さずに済む助けにもなってると思う。これ、万人に使える手ではないのが惜しまれるけれど。

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