Opinion : 遠くは見ない、近くだけ見る、という解決法 (2020/6/8)
 

今週はヒマネタで。

「レッド・オクトーバーを追え」(原作の方) だったか、「あまり遠くを見ると、自分の靴につまずくぞ」といった按配の台詞がある。ところが、「近視眼的」なんて言葉があるぐらいで、一般的には「近くの物事ばかり見ている」のは良くないこととされている。ように思える。

ビジネスでも何でも、ある程度は長期的なビジョンや見通しを立てて、そこで設定したゴールに向かうための行程表を作って、それにのっとって進めていくのが普通。という話になるんだろうか。

ときどき、ビジョンも行程表もなしで、場当たり的に動いているようにしか見えない人や組織があるけれど。まあ、そういうのは放っとけ。

もちろん、(今度出る新刊でも書いているように) 目指すべきビジョンを掲げることは大事。ただ、遠くばかり見ているとしんどくなるよね、ということもある。


それはどんなときか。たとえば、あまりにもゴールが遠く見えてしまったとき。そういう見地からすると、RDT&E だけで十何年もかけている F-35 計画の担当者、ゴールが遠くて心が折れそうになったことはないんだろうか、と心配してしまう。

F-35 は極端な例であるとしても。市井の一般市民でも、取り組んでいる仕事が「やってもやっても片付かない」状態になっていて、ゴールがなかなか見えてこなくて、心が折れそうになる。そんな経験がある人は少なくないかも。

もうちょっとお気楽 (?) な例を挙げると、クルマで長距離を移動するときも、似たところがありそう。

今は撤去されてしまったけれど、川口から東北道を北上していくと、まず羽生のあたりで「盛岡まで 460km」という看板が出てきて、盛大に心を折ってくれた。そしてなんとか立ち直り、ぼちぼちと北上していくと、仙台を過ぎて泉付近にさしかかる。そして「東北自動車道中間点」という看板が出現する。

「え゛ー、ここまで来てもまだ中間点かよ」といって、ここでまた心が折れる。そしてさらに北上していくと、だんだん周囲のトラフィックが減って、ひとり寂しく淡々と走ることになる (夜間ならなおさらである)。そこで休憩のためにサービスエリアに入ったら…

そこでは店舗がすべて営業してなくて、使えるのはトイレだけだった。なんてことが起きて、また心が折れる。それが夜間だったりすると、自分以外に誰もいなくて、狐でも出て化かされそうな雰囲気になる。

そんなこんなの試練 (えっ) をくぐり抜けて、ようやく青森に着くわけ。普通のペースで走って、それなりに休憩も入れると、川口から 9 時間ぐらいはかかるだろうか。自分は、川口-青森間を走り通す行程を何回もやったことがあるから、多少は慣れているけれど。それでも、出発時には「うわー遠いなあ」と思う。

では、どうすれば心を折らずに青森まで行けるのかというと。「遠くのことは考えない」。これに尽きる。遠くのことを見ると、残された距離の数字を見てめげそうになるから、それはあえてシャットアウトする。とりあえず、目の前のこと、次の休憩あたりまでのことだけ考える。

ちなみに、仙台以南で常磐道を使うと、対面通行区間があってペースが抑えられるので、さらに「試練」の度が増す。御興味があれば、是非ともチャレンジを。


これ、何か大きな仕事をしているときも同じ。書籍の仕事だと、ボリュームがあるので自動的にそうなるのだけど。いきなり、初っ端から最終完成形というゴールのことをあれこれ考えるのではなくて、とりあえずできるところからビルディング ブロックをこしらえて、積み上げることだけ考える。

雑誌の特集記事でも、数千字ぐらいならそれほど重さは感じないけれど、一万数千字のオーダーになると、これは意外と重い。そのときも同じで、とりあえずビルディング ブロックを積み上げることだけ考える。たぶん、仕事の量につぶされず、心を折らずにいられる理由はそれ。

意外と分量がある仕事というと、各誌の海外ニュース欄があるのだけど、これも締め切りが近付いてからおもむろに着手したのでは、具合が悪い。見落としが生じる可能性があるし、作業量がバースト的に増えてしまう。毎日、ネタが入る度にどんどん書いていって、最後に調整する方が、気分的に楽。目の前のことだけ考えていれば済むし。

というわけで、「遠いゴールで心が折れそうになったら、とりあえずゴールのことは忘れて目の前の課題をやっつけることに専念するのは、試してみても良い手ではあるまいか」というお話。

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