Opinion : 変化を予測する vs 変化を煽る (2020/6/22)
 

いきなり結論を書きます。

「コロナのせいで○○な変化が…」という類の、一種の煽り記事がいろいろ出てきているけれど、どーせそのうち揺り戻しが来ます。おわり。


なんてことを思ったのは、「コロナをきっかけに地方移住」みたいな記事を見かけたせい。だいたい、この手の話には無限ループみたいなところがある。

「新幹線通勤が普及したので、都会を離れて」なんて話が出たかと思えば、しばらくして今度は「都心回帰の流れ」という話になった。今回はまた「都会を離れて」が煽られているけれど、なぁに、またそのうち「都心回帰」が出てくるに決まっている。

テレワークも同じ。今はトレンドだから「猫も杓子もテレワーク」みたいな話になっている。しかし以前にも書いたように、そのうちセキュリティ インシデントのひとつやふたつは起きるだろうし、「何でもテレワークでできるわけではない」という話になるのは自明。

そしていずれ、「テレワークは万能ではない」とか「テレワークの光と影」とか「オフィスワークに回帰」とかいう類の記事が、ゾロゾロ出てくるんじゃないだろうか。

いつも書いているように、ニュース屋さんは目新しい話を鵜の目鷹の目で探しているから、「○○をきっかけにして△△する」「○○がきっかけとなって△△な変化が起きる」という類の話に飛びついてしまう。

でも、過去に発生した「○○がきっかけとなって生じた変化」で、そのまま定着したものがどれぐらいあるだろう。たいていの場合、雪崩を打ってそちらの方向に行くのではなくて、どこかで揺り戻しが生じて、行ったり来たりしているうちに中間の最適解に落ち着くんじゃないだろうか。

フレッド・フランクス米陸軍大将 (退役) が書いていた。人生における変化の多くは、いきなり劇的な変化が生じるものではなくて、もっと緩やかなものである、と。個人レベルでそうなら、さまざまな要因が絡み合う社会的な変化はなおのこと。

実のところ、ガラッと変わったように見えても、根っこのところは大して変わってない、なんてことも少なくないのでは。右に振れきっていたのが、今度は左に振れきっただけで、根底にあるメンタリティは同じ、みたいな。

逆に、なにかしらの変化が生じるとすれば、表層的な、パッと見て分かるところがガラッと変わるのではなくて、もっと見えにくいところで徐々に変化が進行するんじゃないかと思っている。

たとえば「働き方が変わる」レベルの話ではなくて、事業を進めるに際しての考え方、事業の組み立て、そして産業構造のレベルでひっくり返る、という話になるんじゃないかと。


当節、書店の店頭に行くと「コロナ後の世界がどーたらこーたら」というタイトルの本が山積みにされているけれど、「なんだかなぁ」と思う。何か事件が起きた途端に、急いで書いたような本が、いかにも人目を引くようなタイトルをつけてワラワラと出てきて。そこで煽られるような「変化」って、どうなんだろう。

実際にはそうした変化は起きないか、起きてもせいぜい小幅なんじゃないかと。「変化を予測する」と「便乗して変化を煽る」は、全くの別物。それを読み違えると、釣られて大怪我をすることになる。

ちょいと喧嘩を売ると、「"コロナ後" に強い人材」とは「"コロナ後" というフレーズに煽られない人材」かも知れないよ ? (人材を組織に置き換えてもよい)

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