Opinion : 核兵器をなくす前に、まず使わせない (2020/8/10)
 

毎年、8 月の初頭になると「核廃絶」が話題になる。原爆投下があったのがこのタイミングだから、必然的にそうなる。そして、「核廃絶しない核保有国は怪しからん」とか「核廃絶に向けて日本政府はもっと努力しろ」とかいう話も出てくる。

でも、「やめろ」というだけなら簡単だけど、実現可能性はどうだろう。米露両国だけ見ていても、えらい時間をかけて段階的に、核弾頭の保有数を減らしてきた。たぶん数十年がかりの時間がかかってきている。それでもまだ、1,550 発だっけ、絶対的に見ればべらぼうな数の在庫がある。


ただ、だからといって、米露間で ICBM や SLBM の撃ち合いが勃発する蓋然性が高いかといえば、それはないと思う。いくら NATO とロシアの間の関係が悪くなっているといっても、そこにはある種の秩序が働いていて、それは冷戦期と変わっていない。

それと比べると、中国の何が問題かといえば、「これまで定着していたルールはお構いなし」のところがあるから。つまり、「対立しつつも決定的な破局は避ける」という意味での、ある種の秩序が機能するかどうか怪しい。

以前、中国はその場の状況に合わせて自国を「発展途上国として扱え」といってみたり、「先進国として扱え」といってみたりと二枚舌ぶりを発揮していたけれど、さすがに最近だと「発展途上国として扱え」はいわなくなってきたか。

とはいえ、核軍縮問題になると「米露と比べれば、うちの保有数は少ない」といって、自国を埒外に置こうとしている。あと、インドやパキスタンにしても、あっさり手放すとは思えないし、北朝鮮についてはいうまでもない。

それに加えて、「公然の核保有国だけど核保有国じゃないことになってる」イスラエルという、微妙な存在もいる。

そんな状況下で、たとえば「核禁条約」をどうこうすればあっさり核廃絶が実現するかといえば、とてもそうとは思えない。そうなってみると、「核廃絶」というゴールは理想だけれども、その理想はあまりにも遠いし、実現に向けた道筋をつけることすら難しい。

そこで根っこのところに立ち返ると。「核廃絶」の本来の目的は、核兵器の使用によって発生する惨禍を起こさせないことにあるのではないか。それであれば、途中のステップとして、まず「核兵器を使わせない」ことに重点を置く方が現実的。

現に、日本の反原発活動家のおかげで「原発が動かない」状況は現出している。「原発の廃止」こそなかなか進まないものの、結論としては同じこと。反原発論者がそれで納得しているかどうかはともかく、ある意味、目的は達成できているわけ。それが良いことか悪いことかは別として。


ただ、「核兵器を迂闊に使えない」状況になったのは、いわずと知れた抑止効果によるもの。これを教条的な立場から解釈すると「核兵器の威力を認めることになるので、抑止理論なんてトンでもねぇ」となるやもしれず。

実際にそういうことをいう人、存在しそうではある。ではどうなるかというと、「皆が核兵器の悲惨さを理解して、廃絶に向けて動くのでなければダメ」、といったあたりになるんだろうか。

でも、あまりにも教条的なことばかりいっていると、却って (本来目指していたはずの) ゴールから遠ざかるし、支持が広がらなくなるんじゃなかろうか。「○○反対運動」が先鋭化・カルト宗教化するのは、ままある話だし。

「目指していること」と「そのための手段」をごっちゃにして、ろくなことはない。手段が自己目的化して、本来の目的がお留守になってしまう事態だけは避けないと、「反対運動を続けるためには対象がなくなると困る」なんてことになりかねない。

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