Opinion : ちゃんと背景も見よう (2020/9/14)
 

昨年、「航空ファン」誌で、「見つかった不具合のカテゴリーの違いを無視して、トータルの件数だけで『F-35 は欠陥機 !』と騒ぐ人は、悪質な印象操作といわれても仕方ない」という趣旨のことを書いた。

とりあえず「966 件」という数字だけ出せばインパクトはあるだろうけれど、そのうちカテゴリー 1 に分類されるものがどんだけあるか、という話。

それに、この「966 件 !」論者の元ネタは 2 年前に GAO (Government Accountability Office) が出した報告書だけど、今年になって GAO が出した報告書で内容がどう変化したか。それを知ったら、泡を吹いて倒れてしまうかも知れない。

それはいくらなんでも大袈裟だ。

不具合でも事故でも何でもそうだけれど、単に「件数」や「結末」だけ見ているのでは、大事なところを見落とす。「どんな不具合があって、今後の見通しはどうなのか」あるいは「どうして事故になったのか、それに対してどういう対応策がとられたのか」が大事なんである。

もっとも、それは「モノを良くしたい、良くなってもらいたい」という考えが前提にある。「モノが良くなってくれては困る、事故続発の欠陥品でいてくれないと困る」ということであれば、事情は違うかも。


先週に書いた「問題の切り分け」にも通じる話だけれど。何か問題が生じて、それを解決したいということであれば、単に大声を上げて難詰するだけとか、精神論に走るとか、プレッシャーをかけて「頑張りに期待する」とかいうのは、下策中の下策。

問題の切り分けをちゃんとやって、どこをどうすれば解決できるかという見通しを立てること。それと、どの解決策が実現可能性が高いか、どの解決策が費用の面で有利か、といったことも考えないといけない。いくら実現可能性が高い解決策でも、費用がかかりすぎたのでは結局のところ、実現不可能になりかねない。それでは何もしないのと同じこと。

ひょっとすると、問題解決にかかる手間や費用がバカにならないので、回避策を講じて済ませる方が良い、ということもあり得る。いわゆる完全主義者は納得しないかも知れないけれど、回避策を講じることによって生じるネガと、それによって得られる利点あるいは安全を天秤にかけた上で決める。そういう姿勢は不可欠。

たぶん、ソフトウェア開発の現場にいる方ならお分かりかと思うけれど。ことに開発が終盤にさしかかったところでは、見つかったバグ、まだアクティブなバグをどうするかで、関係者がすったもんだする。これ、ありがちな光景じゃないだろうか。

ソフトウェアでも、ひょっとするとハードウェアでも、ときには「直し壊す」ということも起こり得る。それを無視して「とにかく直せ」とだけ迫るのは、正しい対処とはいえない。ある不具合を直すことと、それに付随するリスクと、両方を考慮に入れて考えないといけない。

あと、よほど特殊な条件が揃ったときだけ発生する不具合であれば、その特殊な条件が発生する可能性を精査することは不可欠。もっとも、たまに「滅多に起こらないはずの特殊な条件が揃ってしまって事故になった」ということもあるから、そこの判断は極めて難しい。


実のところ、背景事情をちゃんと理解しないと危ないのは、なにも事故や不具合に限った話ではなくて。

たとえば、クルマの運転に関わるマン マシン インターフェイスの部分が、メーカーによってまるで違っていたら、面倒なことになる。レンタカーを借りたときに、いきなり乗り出すことができるのは、基本的なマン マシン インターフェイスが揃っているから。

そのマン マシン インターフェイスに一定範囲の「落としどころ」があるのもまた、過去の歴史や経験・知見の積み重ねがあるから、じゃないんだろうか。たとえば「走りながらでも安全に操作できること」という制約を考えると、あまり素っ頓狂なマン マシン インターフェイスにはできない。

以前にホンダ・フィットで「タッチスクリーン式の空調操作」が叩かれたのは、その落としどころから外れてしまっていたからじゃなかったのか。実車に乗ったことがあるからいうけれど、いちいち目視し続けないと操作できないのはヤバい。視線を外すのは、操作系の位置を確認するための一瞬ぐらいにしておかないと。

民航機に乗ったときに、乗務員の指示に従わないと降ろされことがあるのだって、そうなるに至った歴史や背景事情があってのこと。そこのところを理解しないで「降ろされたのは怪しからん」といってもねぇ。

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