Opinion : 視座を上げて全体最適を考えるということ (2020/12/14)
 

もうそろそろ年末だし、月並みながら「今年を回顧してみる」系のことを書いてみようかと。

これまで、対象はいろいろあるものの、基本的には「技術解説系」の仕事をメインにしていた。いや、今でもメインだけれども、今年はその芸風にいくらか変化が生じたように思っている。

そのトリガーになったのは、日経 BP 総研の「ゲームチェンジングテクノロジー」。それを書いている過程で、あれこれ思ったり感じたりしたことが、後々の芸風の変化につながったという認識。それが具体的な形になったのが、自著「現代ミリタリーのゲームチェンジャー」であったり、「軍事研究」2020 年 10 月号の拙稿であったりする。

イージス アショアをめぐるスッタモンダについても、いろいろ書いたり話を聞いたりしている過程で思ったことを書き連ねたメモ書きが溜まっているけれど、まだ世に出すきっかけはつかめていない。


防衛装備品の分野にしても、その他の分野にしても、「できるだけケチってリスクを避けたい。でも、置いてけぼりになるのはイヤ」という気配が強すぎないか。という見方をしている。

もちろん、無駄金を使うのはよろしくない、というのも一面の真理ではある。ただ、それも程度問題。当座のコストを抑えることに全力を挙げた結果として、発展性や将来余裕が不足して、後々の改良ができない、あるいは困難になる。そんな事例がいくつもありゃしませんか、という話。

言い方を変えると、部分最適化の積み重ねにはなっている。しかしそれは、「ひとつの明確なビジョンや方向性の基で、それを実現するためのビルディング ブロックを積み上げる」という形とは違うんじゃないか。そんなことを思っている昨今。

なぜかというと、部分最適化ということは、その「部分」だけを見て、そこに特化しているわけだから。たぶん、「個別の脅威を払いのけることだけを考える」「個別の戦術的勝利を積み上げれば戦争に勝てる」的な発想にも通じるものがある。

一見したところでは、特に間違った方法論ではないように見える。でも、「個別の脅威への対処」「個別の戦術的勝利」を追求する過程で方向性のブレが生じたときに、それに気付かないで見落としてしまう事態にならないだろうか。

目の前だけ見て歩いていたら、いつの間にか脇道に逸れてしまっていた。二進も三進もいかなくなってからようやく、それに気がついた。なんていうのは、山歩きなんかでルートを見失って遭難する場面において、ありがちな話だと思うのだけど。

個別の戦術的勝利を目指すことにばかり気をとられて… って、そりゃ永田町で毎度のように野党が繰り返している話ではなかろか。

「できるだけケチってリスクを避けたい。でも、置いてけぼりになるのはイヤ」の典型的な現れだなあと思うのは、たとえば「ノーベル賞受賞」や「スポーツの分野におけるメダル獲得」の類。研究や錬成に苦労しているときにはソッポを向いているくせに、いざ結果が出たときだけ持て囃すのは虫が良すぎるでしょ、と。育成には手間もコストもかけずに、果実だけ持っていこうとする。


先日、某米国メーカーの日本法人にお邪魔したときに、いろいろお話をしている過程で、なぜだったか「STEM 教育支援」の話になった。アメリカ本土はいうまでもなく、日本においても STEM 分野の支援活動をやっている米国メーカーがいくつもある。

そこで重要なのはたぶん、「サイエンスやエンジニアリングって面白そう」と思ってもらうこと。それがひとつのきっかけ、動機付けになって、科学者・技術者・研究者を目指す人が増えてくれるかも知れない。

もちろん、航空宇宙・防衛系のメーカーにしてみれば、それで有為な人材を輩出してくれれば自社にとってのメリットにもなる、という計算はしているはず。でも、よしんば自社に来てもらえなくても、社会全体の利益にはなっている。そのために 10 年・20 年先を見据えて種を撒くのが STEM 教育支援だろう、とはいえる。

これ、見ようによっては「当座の支出を抑えて成果だけ求める」とは真逆の発想といえる。でも、それをちゃんとやっていかないと国がヤバくなる。

この手の発想を商売道具でやると、後になって手戻りが生じる。そんな経験がないわけではないし、必要なところにはちゃんと、長期的視点・ビジョンに基づいてリソースを回さないと。それも含めて、さまざまなところで「視座を上げる」のが、これからの新たな課題になるということかも知れない。

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