Opinion : よくないこと探し、のマインド (2021/1/11)
|
朝日新聞社のカメラマンが、品川駅の東西自由通路で「通勤者が密になっている写真」を撮ってきたら、「それは望遠レンズの圧縮効果で密に見えるんだろう」と突っ込まれまくっていた。過去にも似たような事例はあったし、海外でも事情は大して変わらないらしい。
あと、COVID-19 の一件と関係ないところでも、実際にはそれなりに離隔をとっているのに「こーんなに危険な近接をしています」という写真を、望遠レンズで演出した (?) 事例があった。あれも批判派と擁護派が入り乱れてスッタモンダした記憶がある。
その手の写真を撮ってきたカメラマンが責められるのは、無理もないところ。ことに、従来は「組織」の背後にいた記者やカメラマンが、SNS を通じて表に出てきてしまっている昨今だからなおのこと。
ただ、新聞社のカメラマンとは要するに組織の一員であって、上司が「こういう画を撮ってこい」といったら、それに応えられる画を撮って帰るのが仕事。だから、ひょっとすると「通勤者が密になっている画を撮ってこい」といった上司がいた可能性もある。もしもその通りなら、根本的には、そっちこそ責められるべきではないかとも思う。
もっとも、新聞にしろテレビにしろ、いつもの行動パターン通りじゃないか、という見方もできる。
COVID-19 の感染が拡大すると「クラスターができて大変だ」と騒ぐ。そこで対策として人の往来や接触を制限する施策が導入されると、「制限されなければならないのに、こんなに人出がある」となったり、「いつもは混雑している○○が、こんなに閑散としています !」となったりする。
その後もまたテンプレ通りで、「閑散」が来れば次には「○○という施策のせいで、こんなに苦しんでいる人がいる」とやる。そこで支援策やキャンペーンといった対策が出てくると、次には「こんなに人が集まってしまっていて平素と変わらない」とやる。
以下、無限ループ。
つまり、物事がどちらにどう転んでも、そのとき、そのときで「よくないこと探し」をやって突き上げる。それが、以前にやった「よくないこと探し」の結果であったとしても、お構いなしにやる。
根本的な問題は、その一貫性・整合性のない「よくないこと探し」にあるんじゃなかろうか。じゃあ、どうしてそういうことになってしまうのか。
そこで出てきた仮説は「弱者の味方である」「権力の監視である」といった考え方が根っこにある、というもの。それ自体が悪いわけではないにしても、それを具体的な行動に起こす過程で、その場の状況に合わせてアドホックに動いてしまうから、一貫性や整合性がなくなる。
あと、「とにかく○○を叩かなければならぬ」という意識が先行すると、これもまた、一貫性・整合性をなくす原因になりがち。何度も書いているように、「反○○」にどっぷり浸かると、往々にして人間が壊れる。
故に、自分らが嫌いな誰かさんについてネガティブなニュースが出てくると嬉々として取り上げるのに、自分らが味方と認定している誰かさんについてネガティブなニュースが出てきてもスルー、なんていうことが起きる。
冒頭の件についていえば、当のカメラマンが Twitter で集中砲火を浴びているところが「時代だなぁ」と思う。昔ならせいぜい、編集部に苦情の電話がかかる程度だっただろうけれど、その場合の相手は個人じゃない。
ただ、カメラマンに「こういう画を撮ってこい」という上司がいたのだとすれば、その上司はカメラマンを被害担当艦にして、自分は安全地帯でヌクヌクしてるのでは。ということになってしまう。
記者やカメラマンが自らの意思でやったのだとしても、それは組織に属している間に染みついたマインド セットに拠るところが大きかろう。すると、誰の意思であったにしろ、本質的には組織風土の問題じゃないかと思える。
|