Opinion : 民軍関係 (2021/1/25)
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仕事でいろいろなところに取材に伺った経験があるけれど、その中には「陽の当たりやすい分野」もあれば、「目立たない地味な分野」もある。鉄道の現業を例に挙げると、車両や運転と比べて検修現場に取材が入ることは少ないし、保線ならなおのこと。
そして、そういう地味な分野に取材に伺うと、往々にして現場の方がノリノリで対応してくださる。そして「いつ出るの ?」などと訊かれることになる。普段は縁の下の力持ちに徹していても、自分達の仕事ぶりが記事になると聞けば、それは士気が上がるだろうし、楽しみなのだろうなと思う。
どんな仕事であれ、「やりがい」に加えて「手応え」を感じられる方が良いに決まっている。物書き業は比較的、それをストレートに感じやすい分野だと思うけれど、仕事の内容によっては、ひたすら地味な裏方さんで終わってしまうこともあるわけで。
それはたぶん、軍事組織でも同じこと。たとえば空軍だったら、花形はもちろん操縦者だけれど、操縦者が任務を果たすためには、それを支えるために多数の裏方さんが必要。機体整備なんかは分かりやすい部類だけど、それ以外にもさまざまな職種が関わる。数十機の戦闘機を飛ばして任務を果たすために、数千人が必要になる。
とはいえ、この辺は存在が秘匿されているわけではないから、まだマシ。情報収集や特殊作戦の分野になると、そもそも存在そのものが明らかにされていないことが珍しくない。長いこと「そんな役所はない」といわれていた米国家安全保障局 (NSA : National Security Agency) なんかは、その一例。
ところが、秘匿性が高いのはそれが重要な存在であり、迂闊に手の内をさらせないから、というのが通例。重要だけれど存在を誰も知らない。どんな仕事をしているかを明かせない。
一方で任務の負担は大きいし、ことに特殊作戦部隊だと任務も訓練もきつい。「デルタ・フォース極秘任務」(エリック・ヘイニ著) によると、デルタの選抜参加者を募集する際に「入隊した場合、勤務は厳しく、危険が大きく、注目されることはない」といわれたそうだ。
そんな環境下でモチベーションを維持するのって、並大抵のことではないはず。誰にも存在を知られずに黙々と、きつい訓練に励み、いつ来るとも知れない本番に備えている (多くの場合、一度も本番を経験せずに終わってしまうかも知れない)。
そこで「やりがい」あるいは「手応え」を感じられて、モチベーションを維持できるような仕組みが何もないと、どうなるか。もしかすると、妙な輩が入り込んでカルト的な思想的支柱を作ろうとする。そんなことになっても不思議はなさそう。
もちろん、何もかもオープンにするわけにはいかない。たとえばの話、特戦群の隊員が公式 Youtube に顔出しして任務について語る、なんてことはあり得ないし、こっちも求めようとは思わない。
ただ、あまりにも世間一般 (いわゆる娑婆) から隔絶されたところで黙々と、禁欲的に、きつい任務や訓練に励むだけ。これはけっこう、危険因子があるんじゃなかろうかと。そんなことも思う次第。
煎じ詰めると、これっと「政軍関係」ならぬ「民軍関係」という話になるのかも。一般市民から隔絶されすぎると、両者の心理的距離も離れてしまう。多少の接触はないと、「国民に頼りにされているんだ」という意識が育ちにくくなりはしないかなぁと。
あと、一般市民と接触する機会が多少なりともあれば、相互の信頼あるいはリスペクトといったものが育つと思う。組織そのものの存在、あるいはその組織が何をしているのか・何のためにいるのかが分からないことには、理解もリスペクトも実現しようがない。
その「多少の接触」がいわゆる一般公開イベントということになるのだろうけど、存在そのものが秘密扱いでは一般公開もままならない。さてどうしたものか… となると、それこそ報道の出番ということになるのか。
つまり、外部に対しては「"得体の知れない、何やってるのかよく分からない人達" にしない配慮」、内輪に対しては「注目されることがない中で、手応えやモチベーションを維持する配慮」が欠かせないのではないかなぁと。なんとなく、そんなことを考えてしまった。
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