Opinion : 節操がないなあと思った話いろいろ (2021/2/15)
 

土曜の晩に、そろそろ寝ようかと思っていたら、いきなり地震に見舞われた (普通、地震はいきなり起きるものではあるけど)。幸いにも拙宅の被害はなかったけれど、揺れが長く続いたところは東北地方太平洋沖地震を思わせるものがあって、気分のいいもんじゃない。

東海道新幹線は無事だったものの、東北新幹線は施設に被害が出てしまい、現時点の見通しでは復旧までに 10 日ぐらいかかるとの話。今日も、東京-那須塩原間を「なすの」が行ったり来たりするだけの特別ダイヤ。

で。昨日、その新幹線をフォローする目的で 185 系の臨時が出たら、乗ってたのは「鉄ちゃん」ばかりだったらしいと聞いて目が点になった。

そりゃさ、185 系の引退は時間の問題だし、普段は走っていないところを、普段は使っていない方向幕を出して走れば格好の「ネタ」なのは間違いない。でも、どういう事情でどういう目的で走ったのかを考えれば、ちっとは自重するもんじゃないのと。

どうしてもカメラに収めたいというなら、せめて乗るんじゃなくて外からやれよと。

結局のところ、地震で発生した輸送障害への対処すらも「娯楽」にしてしまっているのではなかろうか。


そういえば。以前にも書いたかも知れないけれど、自分の中の「○○嫌い」や「反○○」を発露するのに、そのとき、そのときのトレンディなネタを使う人も、しばしば見かける。

今回の地震の例でいうと (というか、自然災害が起きたときの恒例ではあるけど) 航空自衛隊の戦闘機を飛ばすことにイチャモンをつける人。そして、それに対して反論する人が出てきてバトルを展開するのは、もはや自然災害が発生したときの様式美。どっちサイドに対しても関わろうとは思えない、被災地そっちのけの不毛な場外乱闘。

なんていうと「いや、自分は被災地のことを考えているからこそ〜」みたいな反論が予期されるけれども、実際のところはどうなんだろう ? 端から見ると、災害をダシに使っているだけにしか見えない。

ネット上で何かをいえば、それで世の中を動かした気になれるかも知れないけれど、実際にどの程度の効果があったのか、生じた出来事とネット上での投稿の因果関係はどうだったのか。ちゃんと検証してる人がどれだけいるか。それ抜きで「自分は被災地のことを考えて」なんていわれても。

そういう意味で、最近の流行りである「Twitter なんかのハッシュタグをトレンド入りさせる祭り」も同じ。トレンド入りさせれば、自宅に引きこもっていても「世の中を動かした気分」は味わえる。

結局のところ、毎日のように何かに対して怒ったり、罵倒したりしている人は、何が起きても、そのとき・そのときの事象が変数になるだけで、全体のテンプレは変わっていない。何かに対して怒ったり、罵倒したりすることが、一種の娯楽になっちゃってるんだと思う。


前から何度も書いているように、「反○○」や「○○嫌悪」にドはまりして、その状態が続くと、人格が壊れると思う。健康状態が壊れなくても、メンタルがどこかしら壊れる。そして、常識的に考えればやらんだろうというようなことを、平気でやっちゃうようになる。ある種の快楽を感じられるのは、確かかも知れないけれど。

「反○○」や「○○嫌悪」にドはまりして、「○○」を叩くためのネタを鵜の目鷹の目で探すようになっているな、という自覚があったら、早いところ軌道修正しないと。そうしないと結局、自分が壊れて大損するだけだと思うのだけどなぁ。それに、「反○○」活動そのものが相手にされなくなる原因にもなる。

方向性はだいぶ違うけれども、「ネタを鵜の目鷹の目で探してダボハゼのように食らいつくす」ところは、冒頭で書いた「震災対策の臨時に趣味人が群がる」も同じ。鉄道趣味そのものを、世間あるいは中の人がまるごと白眼視しかねない原因を、自ら増やしてどうするの。

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