Opinion : 個人的思い入れのパワー (2021/5/17)
 

昨年からやっているお仕事が追い込みにかかり、できたところ、早めに出さないといけないところからボチボチと、原稿を渡し始めている。よせばいいのにワードカウントしてみたら 11.5 万字ぐらいあって、書いた本人が「ひええええ」となっている。

当初の計画では昨年に出すつもりだったものが、諸事情によりだいぶ遅れた。でも、そのおかげで内容の充実度がだいぶ上がっているので、結果的にはこれで良かったのかなと。よくあることだけど、凶事だと思っていたことが、後になってみたら結果的に逆だった、という一例。


その「内容の充実度」という話で。

たまたま、今回は文字数の制約が比較的緩い (こら) せいもあるのだけど、「これでもか、これでもか」とさまざまなネタを突っ込んでいる。書き始めた当初は「大丈夫かいなあ」と心配だったけれど、案ずるより産むが易し。いや、易くないんだけれども、納得のいくものを送り出せればそれでよし。

普段は「個人的な思い入れは仕事の邪魔」というモットーでやっているけれども、今回の場合、個人的思い入れがブースターの役割を果たしている部分がありそう。もちろん、それを支えるだけのデータの蓄積、あるいは新たなデータの確保があればこそ、だけど。

では、どうして平素は「個人的な思い入れは仕事の邪魔」なのか。それは、個人的な思い入れが過剰になると、物事の判断を狂わせる可能性があると思っているから。あと、思い入れが露骨に出ると、普通の解説記事ではなくて、宗教団体の教典みたいになってしまう。それは避けたい。

受け手が最初から、宗教団体の教典みたいな記事を期待したり、求めたりするケースもある。それならまた話は違うのだろうけれど、自分の領域ではそういう仕事はないし、やりたくもない。

といっても、それが問題になるのは、「物事の判断」という要素が入ってくる場合。常にそういう仕事ばかりしているわけでもないし、「あくまでファクトをベースに」というストッパーを忘れなければ、個人的な思い入れが結果として、クオリティを上げるためのブースターになることもある。

逆に、政治マターが絡むような案件で個人的思い入れが入り込むと、これはどう見てもロクな結果にならない。そこはホント、気をつけないと危ない。もちろん、この個人的思い入れには、逆ベクトルのものも含むのだけど。

ただし、「思い入れが入り込む」と「自分の意見を入れない」は別の話。要は、その「自分の意見」に、「思い入れ」のせいで揺らぎや暴走が生じるのがヤバいという話になる。

その点、冒頭で書いた目下のお仕事の場合には、「個人的思い入れ」は基本的に「調べ物を深度化させるブースター」として働いているので、これはたぶん無蓋。もとい無害。もしかすると赤字になるかも知れないけれど、一生に一度ぐらいは「損得勘定は抜きで、やりたいものを突き詰める」があっても。


と、ここまで書いてしばらく放置していたら気付いたけれど。「個人的な好みや思い入れ」と「自分がなすべき仕事」をどうバランスさせるか。物書き業以外の分野でも、直面することがある課題だった。

そこで、「この仕事でなすべきこと・目指すべきこと」と「個人的な好みや思い入れ」を混同すると、おかしなことになる。でも、混同しないように注意しつつ、「個人的な好みや思い入れ」を仕事のプラスにすることも、ひょっとすると可能かも知れない。

いやその、どこの業界のことだとはいいませんけれど。

それに、モノによっては「自分が実際にそれを使う立場」を理解していないと、ろくでもないモノができてしまうことがある (カメラとかカメラとかカメラとか)。ただしこれも、個人的な好みや趣味と「商品としての最大公約数」は、分けて考えないとダメだろうけれど。

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