Opinion : いわゆる出羽守につけいられる弱点 (2021/8/2)
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以前から「外国ではこうだ」「日本の○○は外国ではもうやってない」「日本の○○は外国では馬鹿にされている」といった類の話を連呼する人がいる。これを指して「出羽守」なんて揶揄することもある。
こういう人が出てくると、カウンターとして「日本の○○は素晴らしい」「外国の○○はうまくいっていない」などとやり返す人も出てくるわけで、なんとまあ、不毛な叩き合いではある。どちらサイドにしても、両極端に振れ過ぎているし、結論に合わせて都合のいい話を持ってきているところはおんなじ。
ただ、この手の「外から見てどうだ」的な話のもって行き方をする人がいるということは、その手法に効果があるという認識があることを示唆している。といって間違いはないと思われる。実のところ、根底の問題はそこにあるように思える。
実際、たとえば来日した海外の著名人に対して、いちいち「日本の印象は」ぐらいならまだしも「日本のことをどう思いますか」みたいなことを訊く場面。ちょいちょい見られるように思う。著名人の発言なら (一般市民と比較してという話だけど) 相応のインパクトや説得力があるとみなされているからこそ、こういう話になるのでは。
でも、こういう話をいちいち訊くこと自体、「自国が外から見てどう思われているのか」をむやみに気にする心理の現れ、って話じゃなかろうか。なにも日本 vs 海外という図式に限った話ではなくて、国内でも似たような話はある。
たとえば、靴やお洋服なんかで「これを身につけてみたいんだけど、まわりから見てどうでしょうか」みたいなことを Q&A サイトで訊く人がいる。つまりは「変な目で見られないか」「流行から外れているといって馬鹿にされないか」ということを、いちいち気にしているんだと思われる。
でも、そんなのいちいち気にしてどうするのかと思う。もちろん、ある程度の許容範囲はあるだろうけれど、自分の立場、あるいは公序良俗に反しない範囲であれば (これ自体が不明瞭かつ定量的でない基準だ、というのは承知の上で)、好きなようにすればいいじゃん。
たとえば。自分は何年か前から日傘を愛用しているけれど、これはどちらかというとレアだと思われる。でも、自分で持ち歩ける日陰があるのは、クソ暑い夏場の日中には、まことにありがたいこと。そちらの実利の方が、まわりがどうこうというよりも、はるかに重要なこと。文句あっか。
そういえば昨日は、遅い昼飯を食べたときに「お店がそもそも女子向きで、他のお客が全員女子だった」なんてことがあった。でも、別に性別による入店制限をしているわけではないし、食べたいものを食べるだけ。文句あっか。(アウェイ感がいくらかあったのは事実なれど)
実のところ、「これをまわりの人からどう思われるだろう」とオドオドしているよりも、「これが自分の流儀」とデンと構えている方が、まわりも却って何もいわなくなるような気がするけどなぁ。もちろん、場所や状況次第ではあるけれど。
その、いちいち周囲の目を気にする心理が、いわゆる出羽守がつけ込む弱みになっているように思える。
いわゆる出羽守がいう「海外」がどこのことで、絶対的な規模がいかほどなのか、という話は、ここでは措いておく。えてして、実は極めて限られた範囲の話だったりしそうではあるけれど。もっとも人間、「自分の周囲のことは普遍的なこと」と思いがちではある。
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そーいえば。この「周囲からの目をやたらと気にする」は、以前から何回かネタにしている、昨今の撮り鉄業界の「約束事に過剰にこだわる風潮」にも通じるものがありそう。そりゃまあ、約束事が定まった背景には相応の理由があるわけだけれど、そこから 1bit も外れてはならぬ、というのは単なる教条主義化。
こちらの場合、SNS などを通じた「周囲の目」が大きいんじゃないかというのが個人的な見立てだけれど、これだって「自分の考えはこうだ、文句あっか」となる場面があっていいと思う。
実のところ、いろいろな経験を積みながら徐々に、でいいから「オレ流」を確立して自分に自信を持たないと、いつまでも周囲の目を気にしてオドオド、右往左往するだけってことになりはしないだろうか。
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