Opinion : 常に攻めることしか考えられない人 (2021/9/13)
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「反○○」にドはまりすると、往々にして人間が壊れる。というのは自分の以前からの持論で、過去にも書いたことがある話。
そういうことになると、朝から晩まで明けても暮れても、ターゲットであるところの「○○」を叩いていないと気が済まなくなる。そして、世の中のさまざまな事象を手当たり次第に、「○○」を叩くためにこじつけるようになる。
それどころか、そんな自分に対して批判的なことを書かれたり、大喜利のネタにされたりすると、またいきり立ってしまい、そちらも叩きに行ってしまう。かくして、戦う対象はどんどん増える。もっとも、その方がアドレナリンが出て盛り上がるのかも知れないけれど。
そんな人を眺めていると、「戦機」というものを読めないんだなあと思う。よくいえば見敵必戦だけど、悪くいえば手当たり次第 または 瞬間湯沸かし器。何かを嫌ったり反発したりするのは、個人の思想の問題だから好きにすればいいけれど、どうせやるならちゃんと効果が上がる方法でやればいいものを。
なのに実際には、とにかくわぁわぁ大声を張り上げて罵倒するのが関の山。それでは、敵を増やすだけだったり、支持につながらなかったり。
あと、一度、何かやってうまくいくと、「夢よもう一度」といって同じことを繰り返して、そのうち飽きられて相手にされなくなる。その一例が、Twitter における「ハッシュタグのトレンド入り祭り」。上下左右に関係なく使う手ではあるし、やれば「世論を動かした気分」は味わえる (あくまで気分ね)。
でも、それがニュース種になったのは、目新しい話題だったから。最初にこの手が当たったときと違って、もはやトレンド入りしてもニュース種になんてなりゃしない。同じ手を繰り返していれば、「目新しいこと」を求めるニュース屋さんに相手にされなくなるのは、当然。なのにワンパターンで繰り返しているのを見ると、「分かってないなあ」と思う。
「戦機」を読んで、そこでバーンとぶつけるならまだしも、毎日のように同じことをワンパターンで繰り返しているのだから、効果がなくなるのはあたりき車力の車引き。もはや単なる自己満足。
ついカッとなって戦いたくなっても、そこで「今は戦機か ?」と自問自答して、ときには頭を下げてやり過ごしたりスルーしたりする。そして、決定的な打撃が与えられそうだとなったら、そこで全火力を使って撃ち返す。それなら分かるけれども、「反○○」勢がやっているのは実のところ、正反対のこと。
これってやはり「戦う正義の味方」として、常に攻め続けて、賛美され続けなければいなければならないという強迫観念でもあるのか、なんなのか。
え、「とにかく常に叩き続けていれば相手が疲労・疲弊するだろう」って ? 相手がいちいちマトモに取り合っていればそうなる可能性は皆無ではないものの、相手がスルー力を身につけていれば、むしろ叩く側が先に疲弊して暴発するのでは。
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たぶん企業でも軍事組織でも何でも同じだけれど、「我らは不敗、常に攻めかかるものであって、守勢に立ったり敵が攻めかかってきたりすることはあり得ない」みたいな、勘違いした攻勢第一主義につかまると、それは没落の第一歩ではないかと思う。
攻守の使い分けができて、攻めかかるべき戦機と、守りに入ったり、やり過ごしたりすべきタイミングを正しく読めないと、結局は負け戦になる。
それと同じデンで、「常にうちが (優秀 | 優勢)」という思い込みも危険。彼我の優劣は常に冷静に把握しておかないと、「どういうゲームを仕掛ければ勝てるか」という考えが出てこなくなってしまう。
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