Opinion : 組織が事故やトラブルと向き合えるかどうかという問題 (2022/1/17)
 

「力道山また暴れる」ならぬ、「みずほ銀行また障害」となってきている感がある昨今。そのみずほ銀行、先日のシステム障害を受けて金融庁に業務改善計画を出す由。それについて書かれた記事を見てみたら…

「経営陣の責任は重大といわれた → 経営陣をすげ替えます」「システム部門の人手が足りないといわれた → 人手を増やします」「組織の風通しが悪いといわれた → 幹部と現場で座談会をします」あのー、そういうことなんですか ?

なんというかその、表面的な字面を字面通りに受け取って、それに対して字義通りの回答を並べた。そんな感じがする。形を整えているだけで、本質的なところに切り込めていないんじゃないかという不安。

あと、「年に 2 回、システム障害を集中的に振り返る期間を設けて、教訓を継承する映像を配信することなども検討」なんて話も流れてきているけれど、ホントにこんなことを真剣に考えているのだとすれば、これはこれで首をひねらざるを得ない。小学校あたりの「クラスのみんなで反省会をしましょう」じゃないんだから。

トラブルが起きたときには、その原因と真摯に向き合って対策を立案するのが先決。それをちゃんとやって、効果をあげた上で、「過去の失敗を忘れないように語り継ぐ」ならいい。でも、本質的な対策そっちのけで「教訓を継承する映像」だけこしらえたら、ただの精神教育にしかならない。

座談会にしてもしかりで、実施しても、そこで当たり障りのない話をして終わったのでは意味がない。耳の痛い話が出て来ても真剣に聞き入れて、対応する覚悟があるのかどうか。それ以前に、耳の痛い話を出せる雰囲気をどうやって醸成するのか。

形だけで終わってしまって、結局は何も変わらず。そんなことになりゃしないかと心配になる。


自分が仕事で関わりの多い運輸の業界では、事故やトラブルがあると、その後でちゃんとロジカルな再発防止策を講じるのが普通。具体的な例を挙げ始めると際限がないけれども、過去に経験した事故やトラブルと真剣に向き合い、再発防止策を講じる…

そんな歴史の積み重ねの上に、今がある。一見したところでは無駄・無意味に見える対策・規則・規定には、過去の経験の反映がある。だから、その結果として趣味的に面白くない一面が生じたとしても、それは受け入れなければならないだろうなと。

空の上だと、エンジニアリング分野での改善はもちろんのこと、CRM (Crew Resource Management) という概念が出てきて、それが他の業界にも広まっているのは大事な出来事。それが機能する組織や業界だからこそ、自分がやらかした失敗を皆と共有して再発を防ぐ、といった話も機能する。形だけでは駄目で、魂も入れないといけない。

そんな、組織文化の領域まで踏み込んだ上で「教訓を継承する」なら分かるけれども、形式的な対策、そして精神論で終わってしまったら、またやらかすんじゃないだろうか。そして最大の犠牲者は顧客となる。


実のところ、この手の話は事故やトラブルに限った話ではなくて。

たとえば、進行中の戦争行動で「どうも旗色が悪い、交戦しても勝てない」となったり、企業で「売上や利益が伸び悩んできている」となったりしたとき。そこで精神論に逃げたのでは、ますます泥沼にはまる。何が問題だから勝てないのか or 売上や利益が伸びないのか。それを真剣に追求して対策を考えないと、さらに負けが込んでしまう。

なんだけれど、我が国の過去の歴史を見ていると、どうもそういう局面で弥縫策に終始したり、精神論に逃げたりして、本質的な解決や改革が進まない事例が目につくように思える。挙句、「絶対国防圏」みたいな、立派そうに見えるスローガンや看板だけは出てくる。たぶん、よその国でも似たような話はあるのだろうけれど。

たぶん、本質的なところに踏み込んで対策を講じる代わりに、見た目の形だけ整えて済ませようとしたり、精神教育じみた弥縫策でケリをつけようとしたりするのは、

  • なるべくコストをかけたくない
  • 組織や仕事のやり方をいじりたくない (いじってうまくいかなかったときに文句をいわれるのはゴメン)
  • 上司・先輩の過去の仕事を否定するようなことになれば、人間関係が…

みたいな話が背景にある場面が多いんじゃなかろうか。

我が国ではもうひとつ、「とりあえず、ハードウェアを買えば問題が解決した気になってしまう」というのもあるけれど、それはまた別の話なので、今回は割愛。

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