Opinion : なぜそこで白黒つけようとする ? (2022/1/31)
 

安全保障の業界におけるトレンド ワードのひとつに「グレーゾーン事態」がある。これは比較的、最近になっていわれるようになった言葉だが、そもそも世の中、そう何でもかんでも白黒はっきりつけられるとは限らない。グレーな部分、不明確な部分はどうしても出てくる。

しばしばネット上で喧嘩の種になる「基地内の何は撮ってもいい、何は撮っちゃいかん」(バリエーションとして、撮ったものを公表するかどうか) というお題がある。

昨今、自衛隊では何か偉い人が訓辞をするというと、たいてい「日本を取り巻く安全保障情勢は厳しさを増しており〜」という決まり文句が入る。そんな状況下では、保全に関して以前よりシビアになっていても驚きはない。というか、なって当然。

もっとも、この決まり文句はあまりにも頻出しているので、却って逆効果にならないかと心配になるところはある。


筋論からいえば、そもそも「何も撮らないで」となりそうなものではあるけれど。しかし現実問題として、外から中が全く見えないようにするのは難しい。たとえば、軍用飛行場の周囲を取り巻いている何 km ものフェンスを、すべて高い塀に作り替えるなんていったら、けっこうな費用がかかってしまう。

それに、「外柵対策」はそれでいいとしても、頭上から衛星で覗かれる問題もある。結局、本当にヤバいものだけはガードするとして、後は見えても仕方ないと割り切る。それが現実的な落としどころかと。国によっては、人家から何マイルも離れた僻地の真ん中に秘密施設を作るようなこともできるけれど、日本ではちょっと無理がある。

ただし。だからといって、それを積極的に「撮っても良い、晒しても良い」といって回るのも、なんか違う。そこは何かしら「節度」が求められるだろうし、それをやらないと、結果的に規制や遮蔽が厳しくなって、自分の首を絞めることになってしまう。

するとこれは、「グレーな部分があるけれども、事を荒立てず、節度をもって接するのが最善の落としどころ」となる。そこで「撮って良い or ダメ」「公開して良い or ダメ」論争を展開して白黒つけようとすれば、藪をつついて大蛇が出る。

なにもミリタリーの分野に限った話ではなくて、他の業界でもありそうな話ではある。微妙な被写体、微妙な撮影場所、微妙な情報、etc、etc。なのにそこで、白黒つけようとして善悪論争を引き起こすなどして、結果的に誰も幸せになりませんでした、という話はチョイチョイある。

じゃあ、なんだってまた、よせばいいのに白黒つけようとするのか。

ひとつには、「うちらのシマを荒らすな」と主張するための一種の方便として、撮影や公表の可否問題を使うパターンがあるのかなと。「自分だけが知ってるおいしい撮影地を広めるな」みたいなやつ。ことに対象が軍事組織の場合には、「保全」という大義名分をくっつけやすい。

そこに、ことにネット上ではしばしば見受けられる「正義感の発露」みたいなナパーム弾が投下されると、ますます荒れる。「自分が正義の味方になって悪い奴らを成敗する」とまなじりを吊り上げれば、落としどころなんて探りようもなく。

それの派生で、ネット上で喧嘩になったときに「とにかく勝つ」という意識が先走り、使えそうなら手段・名目を選ばず、となるケース。その結果として、とにかく白黒つけて相手を叩きのめさないと収まらない、となる。


具体例を挙げるのは差し控えるけれども。「どうして可否が問題になるのか」という原理原則を弁えて、適切に判断すれば済むはずなのに、なんでわざわざ公の場に話を持ち出して荒れさせますかね、という案件も、いろいろある。

公の場に話を持ち出せば、自分の言い分を皆に納得させる、あるいは正当化するために、何かしらの「武器」が要る。すると当然の展開として、その「武器」が正当か、説得力があるか、といって論争 (というより喧嘩) が起きる。黙ってやって、それでトラブルを起こさなければ丸く収まるのに、わざわざ公の場に持ち出して白黒つけようとするから燃える。

めんどくさい世の中になったもんだと思う。ほんと。一人で、あるいは仲間内でひっそり楽しむことだけ考えていれば平和に片付くのに。

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