Opinion : 手段が雑でも結果が出れば (2022/2/21)
 

海外情勢が緊迫化すると、せっかく書いて送った原稿が「掲載先送り」になってしまう、なんていう場面に遭遇する。朝鮮半島情勢しかり、ウクライナ情勢しかり。そのとき、そのときの情勢に影響されにくい、技術解説が主体の記事を書いていると、そういう形でのトバッチリを受けることになるのは、まぁ致し方ない部分がある。読者の皆さんだって、目の前で上がっている花火の方が気になるだろうし。

ただ、それは今回の本題ではなくて。

そのウクライナ情勢に関連する注目ポイントは、ロシアが仕掛ける各種の宣伝戦・心理戦。ただし気になるのは、日本国内において (他国のことは知らん)、その宣伝戦・心理戦の杜撰さを言い立てる声を見かけること。


話を聞けば、なるほど確かに杜撰だなと思わされる部分はある。でもね。

宣伝戦・心理戦は目的じゃなくて手段。それを通じて実現したいと考えていたことを達成できるのであれば、手口が杜撰だろうがなんだろうが、その仕掛けは成功したのだと認識しないといけない。逆に、いくら手口がスマートで洗練されていても、結果を出せなければ、その仕掛けは失敗したのだと認識しないといけない。

よくよく考えれば、これは他の分野にもいえる話。ありがちな事例でいうと「技術的に優れているかどうか、洗練されているかどうか」という評価軸がそれ。

そりゃもちろん、技術的に優れている、洗練されているに越したことはない。しかし、技術はあくまで手段であって目的ではないのだから、本質的に重要なのは、「その製品・サービスを通じて何を提供できているのか」。その最終目的を忘れて手段に溺れると、結果として最終目的も達成できなくなる。

これ、ソフトウェアの世界でいうと、「コードが美しいかどうか」というのも該当するかも知れない。ただしこれが難しいのは、可読性が悪いコードを書くと、後々のメンテナンス、あるいは担当者が変わった場面で悪夢を見る可能性があること。

もっとも、だからといって「このコードは美しくないから書き直す」といってゼロ ベースで書き直した結果として、熟成を重ねて枯れていたコードが御破算になり、(意図せざることとはいえ) 改めて不具合を仕込む結果になってしまうケースもあるから笑えない。

なんて調子で書いていると、ドンドン脱線しそうなので、話を元に戻して。

情報戦でも何でもそうだけど、「それを何のためにするのか」という本質を常に意識していないと駄目、ということなんだと思う。それができていないと、手段に溺れたり、手段が目的にすり替わったり、結果ではなく手段が評価軸になったりする。

その辺を逆手にとっているのか、それとも結果としてそうなっているのか。CO2 排出削減問題、あるいは SDGs 云々は、結果よりも手段の話ばかりが先行している感がある典型事例ではなかろうか。この手の話を声高に言い立てる人に対して、どうも信頼感を持てない理由はそこにある。


といった話になると、「最終的に実現したい or 実現すべき物事」よりも、「実現のための手段」に気をとられてしまうのは理解しやすい。そして、他所で何か新しい手段、画期的な手段、人目を引く手段が出現したときに「バスに乗り遅れるな」といって飛びつくことになる。

でも、それって「手段を手に入れれば満足してしまう」ことになるので、「ウチの方が (上手にやっている | 洗練されている | 技術的に優れている)」というドヤり方をするようになる。ちがうそうじゃない。それを使って何を実現したいん ?

そういえば、定期的に (?) 騒ぎになる某界隈の「異常と思われても仕方がない "お作法" へのこだわり」も、目的より手段にこだわってしまっている一例、といえるんじゃなかろか。こんなこというと、こだわっている当事者は真っ赤になって怒り出しそうだけど。

「手段にこだわったら結果も出た」と「結果を最初からちゃんと意識して見据えていた」にしろ、「まず形から入る」と「形を整えたらそれで満足してしまう」にしろ、似て非なるモノだと思うのだけど。

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