Opinion : 予告や警鐘に関する真贋の区別 (2022/3/7)
 

ロシアがウクライナに戦争を仕掛けたのを受けて、いわゆる西側諸国の間で、軍事力強化にドライブがかかる動きが出てきている。これを書いているときにも、「独仏が軍備増強へ」と題した記事が流れてきていた。

もっとも、特にドイツの場合には… 最初は威勢のいいことをいっていても、何かあると腰砕けになるんじゃないかという疑いが払拭できない。モスクワではなくて北京がらみでも、つい「経済問題をダシにして一発脅されたら、あっさり降参するんじゃないの」と疑いの目で見てしまうところはある。

では、我が国はどうかという話になるけれど。この手の政治的意思決定とそれの執行については、往々にして機敏さに欠けて腰が重い傾向があるように見受けられるので、さてどうなりますか。


いわゆる「対テロ戦・不正規戦の時代」が 1990 年代から続いてきたものの、2010 年代の末期あたりから、すでに「国家同士、正規軍がぶつかり合う戦闘様態」への回帰傾向は出ていた。ただ、それは世間的には「狼が来た」の類と思われていたのかもしれない。ところがプーのやらかしのせいで「こりゃいかん」といって、一気に世論が動いた感がある。

もっとも、その前の「対テロ戦・不正規戦の時代」にしても、業界で話が出た時期と、それが世間的に広く認識されるようになった時期には、何年かのギャップがあったと思う。1990 年代の初頭、いわゆる冷戦崩壊の直後には、「これで世界には、愛と平和の千年王国がやってきた」といわんばかりの声が主流だったから。

そこで「いや、超大国のタガが外れたのだから、むしろ、これまでは抑え込まれていた地域紛争などが表に出てくるのではないか」という見方はあった。でも、それを公言すれば狼少年扱いである。主流派は「平和の配当」。そして実際にどんなことになったかといえば、いまさら説明するまでもない。

それで何をいいたいのかといえば、「業界の認識と世間の認識の間には、往々にしてタイムラグができる」ということ。しかるべき知識・経験・知見を持っていて、それに基づいて物事を見ている人と、そうでない人の間にギャップが生じるのは、致し方ないところではあるけれど。

たぶん、他の分野でも似たような話はいろいろあるはず。ある人が、変化を予告したり、何かに警鐘を鳴らしたりしたときに、周囲の多数派はまるで取り合わない。そして往々にして、変化を予告したり警鐘を鳴らしたりしていた人は、疎んじられる。しかし何年か経ってみたら、実は予告や警鐘の通りでした、という類のやつが。


もっとも、始末が悪いことに、常に「少数派の予告や警鐘が正しい」とは限らない。自分で自分をガリレオ ガリレイになぞらえるようなことをしつつ、わぁわぁ大声をあげているけれども、実はその内容たるや荒唐無稽・非現実的の極みでした。そういう事例もある。

そこで「この予告や警鐘は本物」「この予告や警鐘はインチキ」と見分けるための特効薬があるかといわれれば、たぶん、そんなおめでたいものは存在しない。ただまぁ、陰謀論や「反○○」にドはまりしている人の言動って、往々にしてパターン化されている部分があるので、それはひとつの判断材料になり得るけれど。

すると、コツコツと定点観測を続けて傾向やパターンを把握することは、本物とインチキを見分けるための、ひとつの手段であるのかも。ただし、そこで定点観測の対象を選び間違えたり、傾向やパターンを間違って認識したりすれば、ハズレを引くことになるのだけれど。

あと、今のウクライナの戦争みたいな「世間の耳目を引き付ける大事件」が起きたときに、それに対してどう接しているかを見るのも、ひとつの判断材料ではあるかも。それまでは他の分野で大声を上げていたのに、「世間の耳目を引き付ける大事件」が起きた途端に、そちらに割り込みをかけてきて「以前から知ってたんだもんね」みたいな顔をする人とか。

それ以外だと、何かの出来事をきっかけにして従来の主張が通らなくなったと見た途端に、コロリと論法を変えるような人、情やお気持ちばかり前面に押し出すような人… かなぁ。

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