Opinion : 公共交通機関の生き残りについて、ちょっと考えてみた(1) (2022/8/1)
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昨年だったか一昨年だったか、新函館北斗駅の駅舎側から駅前広場を見ていたら、「なんか新幹線の駅というよりも、地方空港のターミナルビル前みたいだな」と思った。
ロータリーがあって、タクシーが何台か駐まっていて、その向こう側にはレンタカー屋が何軒か並んでいる。そして左手にはデカい (?) 駐車場。できたときは無料だったけれど、今は有料に変わっている。それはともかく、駅前の雰囲気といい道具立てといい、確かに地方空港っぽさがある。
普通、北海道新幹線というと「東京対函館」という文脈で見られる傾向が強い。すると、「新函館北斗で在来線に乗り換えて函館まで行くことになるので、時間も手間もかかる」という批判的意見になる。函館フォックスバット空港は市街地からそんなに遠くないので、余計に新函館北斗駅からの距離が目立つ。
確かに、「東京駅対函館駅」という文脈ならそういう話になる。でも、誰も彼もが函館駅前に用があるのか。函館といえばけっこうな広がりがある。湯の川温泉なら間違いなく空港の方が近いが、五稜郭ならどうだ、大沼ならどうだ、という話も出てくる。実際にやったから知っているけれど、新函館北斗駅でレンタカーを確保すれば、大沼なんてあっという間に着いてしまう。
そして、レンタカーを借りて乗り出す観点からすると、街中から乗り出すよりも郊外が起点になる方がありがたい。これは渋滞や混雑に巻き込まれずに済むから。もっとも、そういう意味では新函館北斗駅も函館空港も、条件は同じではあるけれど。
それで何をいいたいのかというと、「鉄道網だけを基準にして物事を考えるのではなくて、新幹線の駅を起点にして周辺にアクセスするために、あらゆるモードを考慮に入れようよ」という話。バスもレンタカーも自家用車も。そういえば北海道では、在来線特急のパーク & ライドにもけっこう力が入っている印象。
そんなこんなで、ことに整備新幹線の駅は「地方空港のターミナル」に似てるんじゃないか。というのが最近の持論。新幹線ができて終わり、ではなくて、それを起点にした交通網の再編成… 実際、そういう取り組みの事例はあるのだし。
過去の行きがかりもあるのか、どうしても「交通モード同士の対立構図」という考え方からはなかなか脱却できないもの。
もちろん、主要都市間における「新幹線 vs 航空機」みたいに実際に競合するケースも少なくないものの、中には需要がシュリンクしてしまって、「いまさら競合してる場合ですか」という場面も少なくないのでは。そこに COVID-19 のパンデミックがブーストをかけた。
すると、公共交通機関同士が競合してる場合じゃなくて、手に手を取って利用のしやすさを追求するとか、需要を喚起するとか。そこまで考えないと総倒れになりはしないかという心配が、ことに COVID-19 以後に強くなった感がある。
「移動の手段」を持続可能にすること (これは SDGs 的な意味ではなくて経済的な意味で)、そして「移動の手段」に関する情報をきちんと提供すること。前者は、つまりは「利用したくなるような公共交通機関」を整備するという話であり、それは利便性に加えてスピードや信頼性など、いろいろなファクターが絡む。後者は、以前に書いた路線バス問題に代表されるような、情報提供の問題。
ただ、実際の人口動態や人流に合わせた交通網の再編成」という話になると、特にバス網はめんどくさいかも知れない。単に再編成するだけではなく、「よそ者にも分かりやすく、利用しやすい交通機関」にしようとすれば、なおさら。(各地の路線バスがいかによそ者にとって優しくないか、という話は前にも書いた)
実情に合った路線網と輸送力を構築することと並んで重要なのは、「どうすれば目的地まで来られるか」を分かりやすく提示すること。昔だったら、各地の路線バスは全国版時刻表に載らないので「もはやこれまで」だったけれど、今ならネット経由で情報を提供する手もあるのだから。路線と経由ルートと時刻に加えて、「乗り方・運賃の払い方」というトラップがあるのは否定できないにしても。
ただ、そういう話になると、きっと「再編成に乗じて美味しいところだけかっさらおうとする事業者」とか「耳当たりのいいコンサルティングをしてひと儲けを企む輩」とかいうのが出てくる。それをいかにして排除して、本当の意味で地元の役に立つような交通網を作り上げるか。そこが最大の課題かもしんない。
(つづく)
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