Opinion : ポジティブと夢想は別物 (2022/9/5)
 

だいぶ前の話。某社の編集さんと打ち合わせをして、ついでの雑談のときに「井上さんってポジティブですよねえ」といわれたことがある。実際にどうなのかは、本人よりも周囲の皆さんの方が客観的に判断できると思うし、本当にポジティブな人なのかどうかは、自分では言及しないことにして (他人に責任をぶん投げるスタイル)。

ただ、「いつまでも後ろを向いてグジグジ悩まないように」という意識を持っているのは事実。うまくいったら、それはそれ。うまくいかなかったら、それはそれ。とっととリセットして次に行く。それを人はポジティブと評するのだろうか。


自分のことはともかく。お仕事でも SNS の投稿でもなんでも、グジグジと文句をいってばかりとか、厭世的なトーンが目立つとか、明けても暮れても自分が嫌いな何かの罵倒ばかりしているとか。そういう人を見ると疲れるので、そっとスルーしたり距離を置いたりミュートしたり、ということになりがち。

特に罵倒芸・叩き芸の人って、趣向を同じくする人の間では人気を博しやすい (たぶん、自分が思っているのと同じことを代弁してスカッとさせてくれるから、という理由) のだけど、それが広範な支持を得られるかどうかは別問題。結局のところ、同じ趣向の持ち主同士でエコー チェンバー化するのがオチ。

じゃあ、ポジティブなら何でもいいのか。というのが本題。実のところ、ポジティブと夢想の間には越えられない壁があるんじゃないか。というのが今回の本題。

そこでいきなり結論を書いてしまうと、「今いる場所から 1〜2 歩、前に踏み出せるのが『ポジティブ』で、いきなり 100 歩先に飛ぼうとするのが『夢想』」ではないかと。数字は適当に入れたものだから、そこに突っ込まれても困るけれど、要は実現可能性・成立性の問題。

以前から何回も「理想を掲げるのはいいけれど、理想と現実を結ぶロードマップを描けないとダメ」と書き続けてきた。それができずに理想だけをまくし立て続ける人、あるいは「いくらなんでもそれは無理があるし、単に個人的な趣味・好みを実現させたいだけじゃないの ?」といいたくなるような人も、「夢想」に分類できる。

分かりやすい例でいうと、「東京から札幌まで寝台特急を走らせれば万事解決」みたいなやつ。ことに鉄道趣味界では「昔はよかった」「昔に戻せ」みたいなのが多くて、個人的には辟易しているのだけど。


つまりは、現実が理想から離れていると感じたときに、理想の実現に向けて一歩でも踏み出して、自分にできると思ったことをちゃんとやるのがポジティブ思考というやつなんだと思う。吠えるだけ、文句をいうだけではなくて。

ここで重要なのは「自分にできると思ったことをちゃんとやる」という部分。

ただし、よくある「ネットで世直し」な人は含まない。投稿する御本人は「投稿によって世論を動かそうとしているのだ」と正当化するかも知れないけれど、実際にはエコー チェンバー化した範囲内で「同類ウケ」で終わるのがお約束。それを「世の中が動いている」と勘違いしているのでは。ネット世論とリアル世論の乖離、という視点がすっぽり抜け落ちていると、こういうことになる。

あと、自分が信じるところにどこまで忠実でいられるか。自分が「これが正しい」と思い、実際に「自分ができると思ったこと」を行動発起しても、それで直ちに物事が目指す方向に向けて動くとは限らない。むしろ、そんな簡単に動かないことの方が多そう。そこであっさり諦めてしまったり、周囲の批判や反対に屈したりしてしまったら…

もちろん、そこで「いや、これが正しいと信じている」といって押し通すには、相応の胆力やメンタルが必要だけど、まさにそれこそがひとつのポジティブ思考なんじゃないかと。そもそも「俺は俺自身のことを信じている」といえなかったら、他の誰が信じてくれるというのか。

もっとも現実問題としては、陰謀論にドはまりしているような人の方が、「自分の信じるところに忠実」な傾向が強いようにも見える。ただし陰謀論者の場合、一歩先に踏み出すのではなくて、ぶっ飛んだ話を真に受けて信じ込んでしまっているわけで、これはやはり「夢想」に分類すべき。当事者は「ぶっ飛んだ話」と思っていないであろうところが、最大の問題であるけれど。

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