Opinion : 何のための "我が国主導" なのか (2022/12/26)
 

今年はいろいろな意味で、日本の左派勢力にとって「悪夢のような年」になったのではないかと思っている (主としてプー 1 号とプー 2 号のせいだ)。それについては、過去にもいろいろ書いてきているし、いまさら改めて蒸し返すことはしないけれども。

その一方で、「次の戦闘機こそ純国産で」と思っていた人にとっても、釈然としない年になった。のかもしれない。あれだけ「我が国主導の」というフレーズが行き交っていた様子と、最終的な落としどころを見比べたときに。


ただ、「何のための我が国主導なのか」という話は、改めて振り返って、再確認しておく必要があるんじゃないだろうか。

戦闘機に限らず、たとえばお洋服もそうだけれど、吊るしのものだと自分の要件を満たせないことがある。これはもう、イレギュラー体型の自分がさんざん、骨身にしみて感じていること。だからといって、いちいちオーダーしていたら費用がかかりすぎてシャレにならないので、あれこれ工夫や悪あがきをしている。

お洋服はそれでいいとしても、戦闘機はどうするか。吊るしの既製品に運用の側を寄せていくか、吊るしの既製品に注文をつけて手を入れてもらう or 自分で手を入れるか、いっそゼロから自分で起こすか。

もちろん、ゼロから自分で起こすのが、もっとも要件通りのモノに近付けられるのは自明の理。ただしそれが受容可能な経費とリスクとスケジュールで実現可能かどうかというと、それはまた別の問題。それだからこそ、最終的に日英伊の共同開発、という話に落とし込んだのだろうし。

目的は何かという話を起点にすると、要は「日本で考えている航空戦のビジョン」に適合するモノができれば良い、となる。そもそも、そこが「我が国主導」にこだわる主要な (すべてではない) 理由ではなかったのかと。上で書いたように、他人が作った吊るしの既製品よりも、自分が作るオーダーメイド品の方が良いという理屈。

その他の目的として「産業基盤の維持」がある。一から十まで国内で手掛けるのと比べると、国際共同案件になった場合、ワークシェアという意味での相対的な分け前は減る。しかし、それで総数が増えれば、絶対的な作業量は増えるのではないか、という見方もできる。そこは今後の折衝や成り行きに依存する部分が大きいけれども。

そういう話を冷静に見ないで、「我が国主導」の定義について「○○だから日英伊の共同開発は我が国主導であるといえる」なんて言葉遊びをやっていても、何も得るものはないと思う。

そんなことやってる暇があったら、この先、いかにして我が国の要求を通しつつ折り合いをつけていくかを考えないと。欧州諸国との大口共同案件は初めてだろうから、過去に経験があるアメリカ相手とは、いろいろとプロトコルが違って苦労する場面がありそうだし。

そういえば。国の存亡がかかっているときに、最終的に目指すべきエンド ステートをそっちのけにして (?) 言葉の解釈でモメまくった事例、いつぞやにありましたな…


これもつまりは「手段」と「目的」の関係性にまつわる問題なんだろうなと。一般論として「間々ある話」だけれど、目的があって、それを実現するための手段だったはずなのに、いつの間にか手段そのものが目的に変質してしまう。すると、その手段を何が何でも固守しようとして、収拾がつかなくなる。

最終的な目的そっちのけで「我が国主導かどうか」ばかり拘っていると、「"純国産戦闘機" という看板自体が目的だったのか ?」と突っ込まれやしないかと。そんな心配をしたところで、今年はおしまい。来年もよろしくお願いします。

(来週はたぶん休載)

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