Opinion : 受け継ぐべきはモノより教訓 (2023/3/13)
 

JA21MJ がアメリカでバラされたそうだ。計画の中止が正式に決まって、これ以上の飛行試験を行う理由はなくなったし、そうなると費用と手間をかけて日本に持ってくる理由もなくなってしまう。すると、現地でバラすのは、もっとも負担が少ない選択肢となる。それはわかる。

これを聞いて「1 号機ぐらい保存しておかなくていいのか」といった声も聞かれる。気持ちの部分では分からなくもない。そういえば、MH2000 は現存する機体があるわけだし。

「MH2000 のことを持ち出すのはやめてさしあげろ」という意見もあるだろうけれど、現にそういうプログラムが存在した歴史は消せない。

ただ、気持ちの上では分からなくもないといっても、維持する意味という話になると、どうだろう。単に形があるものを残せばそれでいいのか、という話。


前にも書いたように、MRJ/MSJ がポシャったのが、すべて三菱サイドのせい、とは思わない。逆に、三菱にはなんの瑕疵もなく、すべて外的要因のせい、とも思っていない。問題は、「どうしてポシャったのか」という事実関係と、そこから汲み取ることができる教訓に対して、どれだけ真剣に向き合うかじゃないかと思っている。

それを真摯にやっていれば、似たような失敗を繰り返す芽を、事前に摘み取る役に立つかも知れない。そうなってこそ、ポシャったプログラムも浮かばれるというもの。逆に、真摯に教訓を汲み取ることをしないで同じ失敗を繰り返せば、ポシャったプログラムは浮かばれない。

ポシャったプログラムの遺灰の中から、新たな大成功プログラムが立ち上がった事例というと、米海軍におけるタイフォン システムの大コケと、その後に立ち上がったイージス システムの大成功が典型例。

では、どうしてイージス システムの開発がうまくいったかといえば。人に恵まれたことはもちろんであるにしても、それだけじゃないのでは。その前にあったタイフォン システムの失敗原因と真摯に向き合ったことは、無視してはいけないと思う。

F-14 も F-111B の遺灰の中から立ち上がった成功事例… といえるんだろうか。いえるけれども、本当に完成形になったのは F-14D になってからじゃないか、という気もしている。

教訓は眼に見える「モノ」ではないから、何かが残ったという意識は持ちにくいかも。でも、形がある「モノ」だけ残して満足してしまったのでは、却って教訓を汲み取る邪魔になる、という見方もできる。モノを残すのであれば、それはそれで活用の仕方があるわけで、そこまで踏み込むなら話は別だけど。

あと、飛行機や鉄道車両みたいなデカブツになると、保存するといっても場所がバカにならないし、きれいな状態で維持するには手間も経費もかかる。それを他人に丸投げしておいて「保存しろ」ばかり連呼するのは無責任じゃないのと思うことも。おカネや人手を出すから保存して、というならまだしも。


ふと思ったのは、この手の話って、大きな事故や災害と向き合う場面にも通じるところがあるんじゃないかなあということ。

たとえば、ちょうどこの前の週末は東北地方太平洋沖地震から 12 年目、であったけれども、そうなるとマスコミ各社あたりが「震災の記憶を風化させるな」などと言い立てるのがお約束。これに限らず、何かというとすぐに「風化させるな」と言い立てる業界ではあるけれども。

ただし本当に大事なのは、災害から教訓を汲み取って、同じ悲劇を繰り返さないようにする、あるいは悲劇の度合を下げること。新幹線における災害対策の歴史なんかを追っていると、そう思う。単に「災害があった」という話だけ語り継いでりゃいい、ってもんじゃあない。

とどのつまり、これもまた「手段と目的」の明確化。「何のために保存するのか、何のために語り継ぐのか」が不明確なままでは意味がなくなるよ、という話。(ただし、その目的の妥当性・正当性は、また別の話)

Contents
HOME
Works
Diary
Defence News
Opinion
About

| 記事一覧に戻る | HOME に戻る |