Opinion : 許容してもいい失敗と許容してはいけない失敗 (2023/4/24)
 

前に自著で「失敗に対する不寛容」は問題だ、という趣旨のことを書いた。新たな研究開発、新たなトライをすれば、ときにはうまく行かないこともある。それは当たり前の話で、成功を前提にして「失敗は許さん」となり、挙句、失敗した途端にぶっ叩く。そんなことでは新たな研究開発、新たなトライの芽を摘んでしまう。

実のところ、居間の我が国で何かと閉塞感を感じる最大の原因は、ここら辺にあるんじゃないかと思っている。H3 の打ち上げ中止に際して「一般的には失敗といいます」とやらかした共同通信の記者も、そのお先棒を担いだといえようか。

その後で本物の失敗が起きたけれども、それはまた別の話。

といっていたら海の向こうでは、SpaceX のロケットが豪快な指令破壊をやった。失敗もいっぱいやるけど、最終的には成功してるんだからいいんじゃね。と、SpaceX の手法を支持する人の中には、そんな言い分もありそう。もちろん個人差もあるだろうから、これしかない、と単純にまとめるのは乱暴だけど。


「失敗に対する不寛容」はよろしくない。でも、失敗したときに「次にうまくやれればいいんだから」とかなんとかいって過剰に持て囃すのも、また違うんじゃないかと思っている。

失敗が次につながるのは、失敗から得られた教訓と真摯に向き合い、改善を施していける場合。また、失敗する可能性も想定して、「A が失敗したらこうする、それがうまくいかなかったら次はこうする」と、先回りして打ち手を考えておける場合。

もしかすると、根本的な当初の構想、当初の方針に間違いがあるのかも知れない。するとときには、ゴッソリ方針転換しなければならない場面も起こり得る。それももちろん「打ち手」のうち。

たぶん、いろいろな分野における製品開発の歴史の中には、どうしようもない困難にぶち当たって方針転換した結果として、最後は成功にこぎ着けた。そんな事例もあるんじゃないかと。パッと実例を思いつかないけれども。

逆に、当初構想を守り通して、「石にかじりついて」最終的な成功につなげた事例もあろうし。

RDT&E が難航しているときにはさんざ腐されたのに、それを乗り越えてうまく行くようになってきたら周囲は手のひらクルー。そんな事例もありましたなあ (何のこととはいわないけれども)。「これでいくんだ、最後には成功させるんだ」といって、頑張って困難を乗り越えた当事者は尊敬に値する。

当初方針を固守するにしろ、方針転換するにしろ、見切りをつけて新規蒔き直しするにしろ、後知恵ならなんとでもいえる。でも、当事者として意思決定するのはまことに難しい。意思決定を担当する人のところに正しい情報が上がっていないと、難しいどころか間違いに向けて一直線。すると、組織の風通しみたいな問題まで関わってきそう。


最低なのは、失敗したときに教訓と真摯に向き合わなかったり、次に同じ失敗を繰り返さないための対処ができなかったり、失敗しているのに「成功した」「失敗ではなかった」と言い張ったりするやつ。

いや、どこかの統一地方選挙における、どこかの政党の話だなんていってませんからね ? (ぁ

「次につながる失敗かどうか」という視点があるのと同様に、「次に挽回できる負け戦かどうか」という視点もあるはずで。そしてそれは基本的に、当事者が負け戦にどう向き合うかに依存する。中には、そこのところが分かってなさそうな事例も見受けられるのだけれど。

いや、どこかの統一地方選挙における、どこかの政党の話だなんていってませんからね ? (ぁ

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