Opinion : ネット空間の同調空気 (2023/10/9)
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ウクライナだけでもトンでもないのにと思っていたら、ハマスがイスラエルに喧嘩を売った。あっちでもこっちでも戦乱ということになり、「第三次世界大戦だ」みたいな発言まで出てきている様子。でも、ちょっと待って。
あくまでこの辺は「ニュースになっている戦乱」の話であって、それ以外にもニュースになっていない戦乱・紛争はいろいろ起きている。ことに日本の報道機関は内向きというか、海外の戦乱・紛争は、よほどの大事件でもない限りはスルーしてしまう傾向がある。なにも今に始まった話ではなくて、ずっと前からそう。
つまり「実際に起きている戦乱」と「ニュースとして目につく戦乱」はイコールではないし、そこで後者に立脚して「大変屋」になるのはいかがなものか。
単に規模の大小や場所の違いだけでなく、誰が関わっているかによっても、ニュース屋さんにおける扱いには違いが生じる。ように思える。
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それに、いきなり高烈度の武力紛争が発生すれば (言い方は悪いけど) ニュースバリューがあるのに対して、低烈度の武力紛争が何年も続いていると、えてしてニュース種にはならない。そういう事情を無視して「話題になる戦乱」だけに釣られて反応するのはどうなの、ともいいたい。
で。
ことに「ニュース種になる戦乱」みたいな大事件が起きると、SNS 上でしばしば見られるのが、そういう事件に対して何か反応しないといけないんじゃないか、事件を解決して世の中を良くする方向に働きかけなきゃいけないんじゃないか、みたいになってしまう現象。
たぶん、誰かが反応したり呼びかけを始めたりしているのを目にすると、「自分も」と釣られてしまうんだろうなと。一種の同調圧力というんだろうか。いや圧力というよりも同調空気というべきか。
もっとも、釣られて反応するとしても、何か投稿して終わりということが大半であろうし、それで気が済むならまだいい。本気で何か始めて、そちらにのめり込んだら活動家の一丁上がりとなる。
実のところ、いつも書いているように「ネット世論 ≠ リアル世論」であって「ネット世論 ≒ リアル世論」ではない。ところが、後者だと勘違いして「ネットで世直し」と吹き上がり、眦を吊り上げて、それが持続してしまうと、えてして壊れてしまう。自分ひとり救えないのに、どうして世界が救えると思うの… という話は前にも書いたっけか。
それに、物事に関わるアクターを単純に「善玉」と「悪玉」に分けて、悪玉が消えれば問題は解決する、という単純思考に陥るのも怖い。
そしてもうひとつ。何かの物事に対して「思うところがある」ことと「それを公言する」ことはイコールじゃない。何も公言しない人に対して「何も考えていないんだろう ? 世界平和を願っていないのか ?」などと難詰するのは違うだろう、とは書いておきたい。
人間ひとりのキャパシティには限りがあるのだから、そのキャパシティの範囲内で、各々が最善を尽くして生きること。まずはそういう土台がなければ、世直しも何もあったもんかと。
もしかすると。ウクライナで普通に日常生活を営んでいる人の話が流れてきたときに「戦時下の国で、そんなはずはない」といきり立つ人がいるのも、根っこは同じなのかも知れない。戦時下なんだからみんな "戦時らしい" 形で生きてるんじゃないか、生きているべきではないのか、と思ってしまうやつ。
でも、普通に日常生活を送って経済を回さなければ、普通に国家も社会も成り立っていくことはできない。何もウクライナに限らず、イスラエルだって同じ。国の南北から安普請のロケットが撃ち込まれては、Iron Dome で迎撃している。そういう日常がある一方で、普通の生活も営まれている。そういうもんじゃないのかなあと。
何かが変わっていくとしても、平凡な日常生活の中で静かに変化が進行して、それがいつの間にかハッキリした形になってくる方が多いのでは。もっとも、こういうことを書くと、今度は「自分は静かな変化の徴候に気付いている、先が見える人なんだ」といっていきり立つ人が現れるわけだけれど。
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