Opinion : クルマを敵視するだけでは解決にならぬ (2023/11/27)
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新幹線を仕事のネタにしていると、必然的に (?)、「新幹線 vs 飛行機」みたいな話を書く場面も出てくる。ただ、実際に利用している立場からすると、絶対にどちらか一方だけということはなくて、そのときどきの状況や価格、それと気分の違いでテキトーに決めている」というのが実情。
ただ、最近は航空運賃の高騰ぶりが甚だしいので、「利用できるものなら新幹線」の傾向が強まってきている (ような気がする)。そういえば、知人で「東京-大阪間でも飛行機しか乗らん」といっている人もいるけれど、それは個人の自由というやつで。
そもそも東名阪エリアぐらいに人の往来が多いと、新幹線も飛行機も高速バスも、それぞれ強みを発揮して棲み分けができる。中には「在来線の普通列車で行くぞ」という人もいるはずで、これは年に何回かはやる人が増える。私 ? さすがに大阪まではやった記憶がない (しかし盛岡ならやってるな…)。
たまには、東京〜大阪間をクルマで行き来している人だっているだろう (おつかれさまです)。昨今はガス代が高いので、経済性の見地からすると引き合わない気がするけれども。
さて。鉄道と他のモードの競合というと、自分が若い頃は「鉄道 vs バス」みたいな話が多く出ていたように記憶している。今でも、高速バスについては競合関係が成立している場面があるだろうけれど、昨今の運転手不足問題から、高速バスが一方的にリングを降りてしまう場面も出てきた。これは昔だと想像もつかなかった事態。
しかし現実問題としては、「公共交通機関 vs クルマ」の競合の方が大きいんじゃないだろうか。それでも、移動距離が長くて所要時間の問題が出てくる都市間移動では、まだ公共交通機関が強みを発揮できる。むしろ、地域内輸送の方が影響がでかい。
確かに、「みんなクルマで移動するようになったせいで鉄道の利用が減って云々」という事実はあろう。どう逆立ちしても、door to door の移動における機動力と即応性ではクルマが最強だもの。これはもう否定のしようがない。
前にもどこかで書いた気がするけれども、クルマでも公共交通機関でもチャリでもバイクでも、根本的な存在意義は「移動の自由を得ること」にある。ただ、それぞれ特質が違うから、ある面では公共交通機関はクルマに勝てっこないとか、その逆みたいなことは当然ながら起きる。
そこでいきなり原理主義者みたいになって「みんながクルマに乗るから鉄道が滅びる」みたいな二元論に持って行っても、果たして解決になるんだろうか。極端な話、「公共交通機関を維持するために、クルマに乗るのは禁止」なんて発令したら革命が起きかねない (あくまでこれは「極端な話」という但し書き付きである。為念)
もっとも、第一次石油ショックのときに、マイカー通勤を禁止した会社があったのは事実。とはいえ、これは全体から見れば限られた領域の話なわけで。
そこで「いちぜろ議論」に走って、「クルマを排除する、あるいは不便にすれば鉄道に利用が戻る」なんていえる ? それはどうだろう。個人的にはまことに疑問。もうちょっとポジティブに、「公共交通機関利用のインセンティブ」をなにかしら提示するというならともかく。
「あっちの足を引っ張れば、こっちの分け前が増えるに違いない」という発想は我が国でチョイチョイ見受けられるから、それと同じデンで考える人、いないとはいいきれないけれども。
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もちろん、「クルマに乗れない人の足をどうするんだ」という問題はある。「足の確保は社会的責任」ということで、公的資金をぶち込んででも公共交通機関を維持するのが筋論だろうけれど、生憎と地元でコンセンサスがなければ成立しない。「無い袖は振れません」といわれたら詰む。
そうなったら、公共交通機関をいかにして経済的に持続させていくか」という議論をしないといけない。ただ、しつこく書くけれども、そこで「クルマを排除すれば維持できる」なんていっても受け入れてもらえないでしょ ? 受け入れてもらえそうにない選択肢を力説しても解決にならない。
むしろ、使えるモードをどう組み合わせるのが最適解 or 最善解か、という議論に持って行かないと。昨今、あちこちでサイクルトレインやパーク & ライドの事例が出てきているのも、鉄道と路線バスの連携みたいな話が出ているのも、そういう方向性の現れであろうし。いたずらにクルマを敵視するような話よりは建設的ではないか。
あ、そうそう。電動キックボード。おめーだけはダメだ。
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