Opinion : 謎の EV 推しに限った話ではないけれど… (2024/3/4)
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先日、「Apple が EV 事業から手を引いて人員を AI に回す」「メルセデスが 2030 年の全面 EV 化を撤回」といったニュースが流れてきた。「ほーら、いわんこっちゃない」という以上の感想がない。
そこで過去記事を見たら、昨年 10 月末に「そろそろ EV の化けの皮も剥がれつつあるような」と書いていた。
だいたい、欧州の EV 推しが「環境を名目にした自動車業界のルール変更狙い」という話は以前からいっていた通り。それに「トレンドに敏感なイケてる私」を愛する人達が乗っかってヒートアップしたけれど、結局は… と、そういう話。
ところで、「出来合いのコンポーネントを買ってきて組み合わせれば、誰でも BEV を作れてしまう」話はどうなっちゃったんですかね。そんな、コスワース DFV とヒューランドの変速機を買ってきて F1 マシンを作っていた時代じゃあるまいし。
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Apple の方は、あれは一種の宗教団体なので。よって、Apple が何か新しいことをやり始めるといえば、その度に「これで既存のメーカーや秩序は壊滅する」みたいなことを言い出す人が湧いてくるのは、もはやお約束みたいなもの。
Apple は AI に人員を回すそうだから、そのうち「次の Mac は AI を駆使した凄い新機能が載ってきて、既存のホニャララはフンダラカンダラ」みたいなことを言い出す人が出てくるかも知れない。
さて、次に化けの皮が剥がれるのは何だろうか。
こういう事例をいくつも眺めていると、「過剰な願望は人の判断力を、物事を見る目を狂わせるものなのだなあ」と思ってしまう。もっとも、個人のレベルで熱くなって、大盛り上がりして、後になって恥をかく分には、大した影響はないけれども。
ただ、企業の経営者が判断をミスれば社員とその家族の生活に累が及ぶし、為政者が判断をミスれば国民の生命財産に関わる。情報機関や軍人が判断をミスれば、国の存亡に関わる上に多数の人死にが出る。
ところが実際には、「内輪の事情」「個人的な好みや願望」などの理由で判断を誤った事例は、いくつもある。仮に、行き着いた結論が同じであっても、それには「不純な動機に基づく誤った判断」と「まっとうな判断」の両方がありそう。それを、どうやって見分ければいいんだろう。
そこでひとつ思ったのは。たとえば、何か新しい製品や技術やサービスが世に出てきて話題になったときに、それを引き合いに出して何を主張するか。それがひとつの判断材料になるんじゃないかということ。
ありがちな例でいうと、「この新しい○○により、既存の△△は駆逐される」「この新しい○○により、既存の問題はみんな一挙に解決」みたいなことばかりいう人がいたら、たぶんそれは怪しい。たいていの場合、そんな魔法の杖みたいな話にはならない。
あと、「△△年には○○億円の市場規模になる」ばかりいう人も怪しい。いやまあ、投資家相手に煽りを仕掛けるのであれば、経済効果とか市場規模とかいうのは、有意な指標ではあるのだけれど。
でも、製品とかサービスとかいうのは、何かの問題解決のための手段であって、それ自体が目的というわけじゃない。市場規模とか経済効果とかいうのは、問題解決が実現した結果としてついて来るものではないのかと。問題解決に至らなければ、結果として需要が減退、市場規模はシュリンクする。
「将来、こんな大きな利得につながるはずだから、バスに乗り遅れるな」と煽るのは、ただのバブルでしかない。
ついでに身も蓋もないことを書くならば。煽る側は、煽られる人が多くなるほど自分の利得になるからこそ、煽るんじゃないのかと。かつての某社株なんか、まさにそれだった。某社株を買いたいという人が増えないと、某社株の値段は上がらないのだから。
そういう観点から、現時点で (過去の事例でもいいけど) デカい声で「○○をむやみにプッシュ」している人の発言を観察すると、何かが見えてくるものかも知れない。本質的な問題解決のところにあまり言及していなければ、そいつはダマカシかも知れませんよと。
あと、そのとき、そのときのトレンディ () なアイテムを必死になって推していて、しかも、それが過去と現在で、まるっきり違う分野の話だったら。それでは単に、流行にいっちょかみしているだけじゃないのかと。そういう話になりかねない。
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