Opinion : 現場に立つということ (2024/5/27)
 

出張取材や都内での取材、メーカーからのブリーフィングと、あれこれスケジュールが立て込んだところに渡米の予定をねじ込んで、ドタバタになってしまったのが、ここ二週間ほどの展開。それもあって先週は救済してしまう羽目に (すみません)。

とはいえ、忙しい中に渡米をねじ込んで、「現場現物」を実際に見てこられたのは良かったなと思っていて。A350-1000 にしても、保存艦にしても、グラウンド ゼロにしても。

で、今回はその中からグラウンド ゼロの話を。


あのテロ事件が起きたのは 2001 年 9 月 11 日のことだから、もう 24 年近く経過している。つまり、今の大学生以下の皆さんにとっては「生まれる前の話」。その辺の事情はアメリカでも大差ないはずだけれど、今もグラウンド ゼロを訪れる人はひきも切らないようで。

自分は行かなかったけれど、併設してある展示施設にも待ち行列ができていた。もっとも、事件を生中継で見ていないと却って、展示施設に行く意味はありそう。

事件の概要は承知しているし、現場が後でどうなったかという話も報じられてる。だから、グラウンド ゼロが現在、どんな場所になってるかという話をするだけなら、わざわざ現場に行かなくても、なんとかなるのかも知れない。

でも、現場に行かないと分からないものもあって。それはたとえば雰囲気とか (物理的な) 距離感とか現場の広さとか、はたまた周囲のあれこれとの兼ね合いとかいったもの。あと、そこを訪れた人がどんな向き合い方をしているかも、実際に行ってみないと分からない。

現地に行くと「ここが追悼の場であることを想起して、適切な礼儀・振る舞いを」等の注意書き (Visitor Rules of Conduct) が書かれた看板が備えられている。(実は、現場を離れてウォール街の方に向かう段になって存在に気付いた)

もっとも、実際のところは人それぞれ。普通に「観光地に来た気分」みたいな人もいたように見受けられたし、粛然としている人もいる。中には、事件で亡くなった方の遺族もいたかも知れない。他人がそこでどうするか、まで、いちいち口出しするつもりはないけれども。

ノース タワーとサウス タワーの跡地に設けられたプールの縁には、事件で亡くなった方の名前が刻まれている。ところどころで、そこに国旗を立てたり、花を供えたり、写真を備えたりしてある。そういうのを見れば、第三者の自分も粛然としてしまう。そういう、一種の「空気」のようなものは、やはり現場に立たないとピンとこない。

だから、わざわざ現場の近くに宿を取ることまでして訪れた意味はあったかな、と思った。ましてや、安全保障に多少の関わりがある仕事をしている身であるのだから。「事件の現場」に立てば、なにかしら感じるものはあるだろうと思ったし、実際にあった。と思う。

ただし一方で、「やられっぱなしで打ちのめされてしまっては、それこそ UBL の思う壺だよね」との思いもある。きれいに追悼施設が整えられて、周囲に新たに建物が建って復興している現在の姿を見ると、ことに。


文字や静止画や動画はデジタル データとして通信網を介して伝送できるから、遠隔地での出来事をすかさず知ることができる。便利な時代になったものだと思う。でも、雰囲気とか空気感とかいったものは、デジタル データにならないし、TCP/IP ネットワークで伝送することができない。

これは、昨年に RTX を訪れたときに、アテンドしてくださった RTX の方が話していたことだけど。やはり、人と人が実際に会って、生で話をすることは重要であると。会議はオンラインでできる御時世だけれど、やはり人と人との関係を作る段では、実際に会っていろいろ話をしないと深まらない。

モノや出来事の現地現場現物にも、たぶん、同じことがいえるんじゃなかろうか。去年、(二度目だけど) スウェーデン空軍博物館の地下で、「カタリナ事件」で撃墜された DC-3 の残骸と対面したときにも思ったこと。

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