Opinion : 有事に求められる機敏さ (2024/6/10)
 

「戦争が技術を進歩させる」は悲しい現実で、ことに航空機や電波兵器の分野、目立たないところでは医療の分野を見ていると、それを実感できる。ただ、それだけだと話が大雑把すぎるんじゃないか、とも思った次第。

言い方を変えると、「戦時の技術進化には、それなりの条件設定や、やり方があるんじゃないか」というのが今回のお題。


国運を賭した戦争のまっただ中、といえば、当節だと当然ながらウクライナの名前が挙がる。そこで外野から見ていると、「手持ちのリソースと技術を使って、現実的かつ迅速に実現すること」を最優先しているように見受けられる。

そりゃそうでしょう。どんな高性能の新兵器が実現するにしても、それが登場して戦力化するまでにモタモタしていたら、その間に負ける。スピードは大事。

技術者はつい、「エレガントなものを実現する」「スマートなものを実現する」「完璧なものを追求する」となりがちではないか。と書いたら偏見かしら。ただ、ことに国運を賭した大戦争の真っ最中だと、多少はダサくても目の前の問題解決に役立つことが優先される場合もある。

ついでに書くと、いつもいっているように「技術は手段であって目的ではない」から、技術的に優れているかどうかは、果たして本題なのか。目の前の問題解決が本筋で、いくら技術的に素晴らしかったとしても、戦力としての有用性に問題があれば意味が怪しくなる。生産性や整備性の話も同じ。そういうところをちゃんとマネージメントできる人がいないと、困ったことになる。

太平洋戦争がらみで、「いや技術的には優れていた」とか「理論的には傑出していた」とかいったところで、それは所詮、負け惜しみ。キツい言い方だけれども。

「目の前の問題解決に有用かどうか」という話になると、「一撃で戦局を大逆転できるような超兵器」を追求するのは問題があるんじゃないか。と思うこともある。よほどのことがなければ、そういうものは出てこないし、実現するとしても、ものすごいリソースをつぎ込まないといけない。マンハッタン計画みたいに。

だいたい、結果として「一発大逆転」になるならともかく、最初から「一発大逆転」を狙うと、往々にしてロクなことにならない。兵器でも作戦でもおんなじ。

そして、何か画期的な新兵器が出てきて敵軍を圧倒したとしても、それがずっと続くものではない。これは歴史が証明していることで、どんな新兵器でもいずれ、何かしらの対抗手段が出てくる。だから、常にその場その場の状況に合わせた、最善の打ち手を考えないといけないし、それができる方が強い。

現にウクライナ情勢を横目で見ていると、何か新兵器が投入されては、野次馬から「ゲームチェンジャー」と持て囃されて、そのうち対抗策が出てきて有用性が低下することの繰り返し。ゲームチェンジャーという語の、大安売りと使い捨ても甚だしい。

戦術でも装備でも何でも、何か大成功を収めて、それが不可侵の教典になってしまうようでは先が思いやられる。前に自著で書いた話だけれども、成功の虜囚になると失敗への道。敗北への道は往々にして、緒戦の劇的な大成功で舗装されている。


そうなると、有事において平時と同じ思考法、平時と同じ手続きで物事を進めようとするようでは、そもそもの気構えとして駄目ではないか。前例踏襲・前動続行ばかりでは、いずれ手の内を読まれて酷い目に遭う。これ、武力紛争の話だけとは限らない。

逆に、平時にはドンくさそうに見えていたのが、有事になったらガラリと変わる… そういう相手は手強い。対して、有事でも平時と同じ思考、同じ手法、同じ人事でやっているようなら、与しやすくなる。相手の動きが読みやすくなるし、そもそも機敏さを欠くことになるから。

装備がらみの RDT&E の分野でも、同じように「機敏さ」が求められるだろうし、果たして我々はそれができるのか。有事だけでなく平時でも (特に片足を有事に突っ込みかけているような平時には)、同じように機敏さが求められるであろうし。

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