Opinion : 何事も程々にしないと後で大迷惑、という話 (2024/7/1)
 

いつ頃からか、都知事選が「珍獣博覧会」呼ばわりされるようになった。都民の一人としては忸怩たる思いがある一方で、「そういわれても仕方ない」と納得してしまう部分もけっこう大きい。

ある種の「選挙制度のバグ」というか「選挙制度の抜け穴を突かれた」感がある。ただ、だからといって立候補の要件を厳しくすればいいかというと、それはないと思うし、禁じ手であろうと。立候補の要件を厳しくするのは、むしろ将来的に禍根を残す。立候補する自由は大事である。

ただ、こんな騒動になってるのは都知事選だけで、並行実施している都議会補欠選の方は、(相対的には) まともな状況。してみると、都知事選は「一発かますための、目立つステージ」として認識されているわけである。なんだかな。都知事選でこの状況だと、たとえばの話、大統領の直接選挙なんてやったらトンでもないことになりそう。


しばらく前に、「抜け穴探しに対処するには、相手の目線に立って考えられる "Red Team" が必要じゃないか」という趣旨のことを書いた。ただ、それは抜け穴を塞ぐ必然性があると認識されている場合。あるいは、それをやらないと社会的な損失がでかい場合。

おかげで、善良なる利用者が大迷惑を被ることもある。EX サービスのきっぷ発券がめんどくさいことになった件なんかは、その典型であろうかなと。ネットサービスがらみのあれやこれやなんかも、悪い奴らのせいで善良な利用者が余計な負担を強いられている一例であろうし。

ただ、同じ「抜け穴探し」でも、最初から悪いと分かっていて、確信犯的に抜け穴を突いて悪事をやらかす連中が相手だと、良心に訴えるような手は効かない。「それをやったら捕まってブタ箱入りであるぞ」あるいは「それをやっても、労多くして報われないぞ」という形に持っていくか。なにやら、拒否的抑止や懲罰的抑止みたいな話ではある。

場合によっては、「抜け穴探しばかりやってると、却って規制がきつくなって自分にトバッチリが及ぶから、やめといたら」が通用する場面もあり得よう。ただしこれは、あくまで個人の良心に依拠できる場合に限られるし、近年、そういう場面は減ってきているように思えてならない。

むしろ「明示的に規制されているのでなければ、やれるだけやってよろしい」という解釈の方が跋扈しがちではないかと。「御遠慮ください」の解釈をめぐる一件なんかは、その典型例。なんというかその、「良心に基づく歯止め」の敗北というか。

どこの分野の話とはいわないけれど。「こういう制度になってるから、使えるだけ使ってしまえ。弱者の既得権を奪うのは許さん」が突き進んだ結果として、他者の負担が際限なく増えて、もはや洒落にならないレベルになってる話もあるわけでしょ。どこの分野の話とはいわないけれど。

結局、こういうのって「回り回って、過去に享受していたものが取り上げられる」事態になるまで、当事者は目が覚めないんだろうなあ、そうなったらなったで、そこに媚を売ろうとする輩は絶対に出てくるし。


そういえば先日、トルコ艦の一般公開があったときに、途中から「武器系は撮影禁止」となったらしい。最初のうちはそこまでいわれなかったけれど、「これはマズい」と思ったのか。

そうなると、自分が乗艦したときには明示的に禁じられていなかったとはいえ、艦上で撮影した武器系の写真は、表に出すのを避けるべきであろうな。なんてことは、一応、考えた。

それを自主規制と呼びたければどうぞ。でも、なにがしかの節度がないと、あとあと、さらに自分の首を絞めることになるのは間違いないのだ。

青海の海岸や、客船ターミナルのテラスから撮影した分については、また話は別。実際問題として、外からでは見えない部分、艦上に上がり込んで初めて見える部分ってあるわけで。そういうところこそ、先方も神経を尖らせるところであろうから。

ちょうど昨日、川崎でブルーが飛んだときに「報道ヘリとのからみで演目変更」とかいう話があったそうだけど、これも同じかも知れない。「NOTAM のエリアにひっかかりさえしなければ、接近しても大丈夫」という話がなかったのかどうか。

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