Opinion : なんとなく、テロに関することをつらつらと書いてみた (2024/7/15)
 

先週はお出かけと被って休載してしまいましたごめんなさい。

確か、9.11 の直後に「いつも通りの生活を」(business as usual) という趣旨のことを書いた気がする。2001 年のことだから、もう四半世紀近く前の話。その 9.11 の現場に実際に立つまでに、えらい時間を要してしまったのは少々無念。

といっている一方で、日本でもアメリカでも、元首相や前大統領を狙ったテロ事件が起きてしまった。「いまさら分かりきったことをいうな案件」だけれども、事件を受けて騒ぎ立てたり動揺したりするのがいちばんよくない。それこそテロリストの思う壺なのだから。

ましてや、「やったことは怪しからんが、心情を慮ると云々」なんていい出すのは論外の外。物の本によると、5.15 事件の後で、そういう論調が出ていたという。果たして、それを煽った側に、煽ったことに対する反省はあったのか。

どんなに、世の中に良くないことや気に食わないことがあったとしても、それをテロでひっくり返そうとする行為を是認するなんて、とんでもねぇ話としかいいようがない。目的は手段を正当化しない。

WTC のツインタワー跡地に立ってみて、改めて「UBL がやったことに意味はなかったんだと思い知らせることの重要性」を再認識した。え ? 「ざまーみろっ、と思ってる人もいるんじゃないか」って ?


なんてことを書くと、たぶん「テロ」の定義を持ち出して反論してくる人が出そうではある。とりあえず辞書を見てみた。以下引用。

政見の異なる相手、特に政府の高官や反対党の首領を暗殺したりして、自己の主張を通そうとする行為 (を是認する主義)。Shin Meikai Kokugo Dictionary, 5th edition (C) Sanseido Co., Ltd. 1972,1974,1981,1989,1997

もうちょい、前提条件を付け加えると。「法で定められた民主的手続きがあるにもかかわらず、それに拠らず暴力と恐怖で自己の主張を通そうとする」のがテロリズムである… といえそう。この前提がないと、抑圧的政権に対する抵抗と、意図的にごっちゃにする人がきっと出る。

テロの犯人はテロの犯人であって、それ以上の者でもそれ以下の者でもない。どんなに気に入らない相手でも、殺して解決しようなんて考えるなと。そういう犯人を持ち上げるのは論外、犯人に同情的な空気を作り出そうとするのも共犯みたいなもん。

そういう意味で、安倍元首相暗殺事件の後の報道の状況はまずかった。少なくとも、本筋から外れたところに話を誘導して (それが意図的なものだったかどうかは知らない)、犯人に同情的な成り行きを作り出してしまったのは事実だから。


たとえばの話、選挙を戦っても勝てないから相手を暗殺してしまえ、は明確なテロ。そこには、なぜ勝てないのか、なぜ民心を掴むことができないのかという自省がない。自分は評価されて当然の正義だという思い込みしかない。いや、民心を広く掴むことができないからこそ、テロに走ったり、テロに同情的になったりするのか。

もちろんそれは、自分たちが敵視する相手が標的になった場合に限る、との条件が付くのだけれど。自分たちが敵視する相手に対するテロを肯定的に捉える人が、逆に自分らが標的になったときにどう反応するか。たぶん盛大なダブスタが発生する。

となると、テロ事件に対してどう反応したかを見るのは、政党や報道機関や言論人やその他あれこれに対する評価の手段として、けっこう重要ではないかと思える。あと、「テロ」という言葉をどう定義して、どう使っているかについてもしかり。

ついでに書くと、テロ事件に対してむやみに大騒ぎしたり、あれこれ煽ったりするかどうか。これも見る必要があるのではないかしらと。なんとなく、そんなことを考えた日だった。

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