Opinion : 組織文化という話 (2024/9/16)
 

艦艇好きの間では先刻御承知の話で、「アメリカでは個人の名前が艦名になるケースが多いけれど、日本ではそれはやらない」という話がある。なにも艦名に限った話ではなくて、基地でも空港でも、アメリカに行くと個人名を冠した名前がたくさんある。

え、KCZ ? あれはまぁ例外中の例外ということで…

もうちょっとスケールが小さいところで、建物や施設に個人名を冠する事例もある。ニュージャージー州ムーアズタウンにある CSEDS もそれで、正式には「VADM James H. Doyle, Jr. Combat System Engineering Development Site」という (建物の壁にも大書されている)。

これは、どっちがいいとか悪いとか、正しいとか間違っているとかいう話ではなくて、風土の違い、組織文化の違いとして認識すべき話であろうかと。個人としての働きを重視してフィーチャーするか、それとも組織全体としての働きをフィーチャーするかという違い。

そういえば。個人的経験の範疇でも、似たような話がある。取材先によっては、インタビューしたときに個人個人の名前を表に出す代わりに、「組織としての発言」として扱うように求められたことが、実際にある。


乗り物趣味やミリタリー系趣味に限った話ではないだろうけれど、どうしても、まず目について、注目してしまうのはハードウェア。これはもう仕方ないし、自分だってそうだった (今もか)。

ただ、そのハードウェアが生み出される過程であるとか、ハードウェアをどう運用するかとかいう話になると、組織ごとの考え方の違いみたいな話が表に出てくるはず。

そして、ハードウェアを動かすためには「人」という要素が不可欠であるけれども、その「人」についても同様。上で書いた、個人を表に出すか、組織として見せるかという話もそれ。

そのほか、どういう人が評価され、取り立てられるか。そのための仕組みがどうなっているか。さらには、組織間、系統間の力関係や重み付けの違いという話もある。これらもまた、組織ごとの考え方の違いや組織文化の違いが反映される話。

ウォッチャーとして外から眺めるだけでもそうだから、仕事などで直接的な関わりが出てくると、ますます、組織文化というファクターは大きく影響してくる。自分が何か企画を持って行くときでも、「これだと、A 社よりも B 社に持って行く方が乗ってくれるんじゃないか」ぐらいのことは考える。

そういう組織ごとの考え方の違い、文化の違い、評価の尺度の違いは、その組織がどう動くかにも影響するから、無視できない要素。たとえばの話、威勢のいいことをいう人ばかりが評価されると、そういう人がトップに座ることになって、結果としてイケイケドンドンで暴走する可能性が上がる。そんなこともあるやもしれず。


個人が表に出る場合でも、どんなポジションの個人がフィーチャーされるか。これもまた違いがある。

たとえば、技術者がフィーチャーされるか、それともプログラム マネージャがフィーチャーされるか、という違い。もちろん、技術者がいい仕事をしなければモノは成立しないけれども、それだけでは始まらない。製品として送り出すプロセスを差配する、プログラム マネージャの仕事は極めて重要。

あと、指揮官と幕僚のどっちがフィーチャーされ、話題になりやすい傾向があるか。これも国によって、組織によって違いがある。

そういった、組織の動かし方や組織文化、評価軸といったものは、それぞれの組織の動向を見定めたり推測したりする場面で、きっと影響してくるはず。仮想敵国の軍事組織について評価する場面なんかでは、ことに不可欠な話じゃないかしらと。ハードウェアや個人レベルの練度みたいなファクターだけ見てるんじゃなくてね。

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