Opinion : いわゆるネット工作との向き合い方 (2024/10/7)
 

先日、日経で「中国によるネット上での宣伝工作」に関する記事が載っていた。自著で「ネットは宣伝戦・心理戦の戦場でもある」と指摘したのは 7 年ぐらい前の話だけど、その後の経緯からすれば、これは書いておいて良かったなと。そんな月並みな感想がある。

で。こういう話が出てくると、「いかにして対処すべきか」という話になるのは当然の展開。真っ先に思いつくのは「反論してねじ伏せる」とか「これは間違いで事実はこうだ」と指摘するとか、そういう類の話になる。

実際、昔から「デマにひっかかる人が出ないように事実を指摘しているんだ」といってレスバを仕掛けていく人はいるけれども、それで本当にひっかかる人を減らす効果が挙がっているのか。誰か定量的に調べていたりするんだろうか。

実のところ、↑ の言い分は、レスバを仕掛けに行くことを正当化する理由付けなんじゃないの、と思っている部分もある。


それはともかく。「○○というデマ」に対して「△△という事実」を提示したときに、最終的にどちらを採るかは、それを読んだ一人一人が決めること。ただ、「△△という事実」を提示するためには、その対象となる「○○というデマ」も提示しないといけなくなる。

実はそこに落とし穴があって、結果的に「○○というデマ」を拡散するのに一役買っちゃってるんじゃないの、という話になりかねない。いや、おそらくは、そうなっている場合が多そう。

レスバや引用が流れてきた結果として「こんな、いかれたことをいってる人がいるんかい」となってしまった経験。自分は何度もあるけれど、皆さんはどうだろう。

では、バトルによる説得を仕掛けた場合はどうか。相手が最初から確信犯的に、意図的にやっている場合には、説得そのものが成立しない。ハナから路線は決まっているわけだから。どこかの国や勢力を代弁して宣伝工作を仕掛けている場合が典型例。

対話による説得が成立するのは、相手が「よく知らないけど、たまたま耳にした話を信じ込んでしまった」場合。それも、聞く耳を持っている場合に限られる。現実問題としては、対話が成立しない場面も少なくない。

そしてもうひとつの副作用。カルト宗教や、それに類するあれやこれやに共通する話だけれど、外部から何かしらの攻撃 (他に適当な言葉を思いつかなかったので、ここではこう書く) を受けると、却って当事者は熱狂するし、内向きの結束を固めることになりがち。指導者の側は意識して、そういう方向に話を持って行く。

つまり、下手したら逆効果になりはしないかということ。この話は前にもどこかで書いたかな。


理想論をいえば、おかしな言説が出てきても社会全般から相手にされず、スルーされるのがベター。

ただしこれは、一人一人の考え方や受け止め方や反応の仕方に依存する話なので、現実問題として実現不可能。おかしなことをいう人が出てきたときに、スルーする人もいれば、つい反応してしまう人もいるし、確信犯的に反応しに行く人もいる。

何万人もの人で構成される社会を挙げてスルーしなさいといっても、そんな意思統一はできないし、意思統一 or 意思強制ができるとしたら、それはそれでまた危険な話。

おかしな言説を語る側が勝手に過激化、先鋭化して、どんどんおかしな方向に進んで、サイレント マジョリティから避けられるところまで行ってしまえば良いのだろうけれど。ただ、それには相応の時間がかかるし、必ずそうなるという保証ができない。

すると、この手の問題には、一撃で問題を雲散霧消させる「銀の弾丸」はないと思っている。それに、そんな「銀の弾丸」があるとしたら、おそらくは逆方向にも作用する。「一撃でおかしな言説が相手にされなくなる」と「一撃でまっとうな言説が相手にされなくなる」は紙一重。

この手の「ネット世論工作」みたいな奴に対して、焦りや危機感を感じる人が出るのはもっともなこと。だけど、そこでインスタントな解決策があると思ってしまう、あるいはインスタントな解決策を追求してしまうのは危ないんじゃないかなぁ。

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