Opinion : 点と線と地図 (2024/11/25)
 

自分のまわりには、いわゆる「お出かけヤクザ」な方が多いから、これから書くことには当てはまらないことが大半なのだけど。

なんでも、旅行に出る目的でいちばん多いのは「美味しい○○を食べたい」なのだそうだ。それはとても良いことだけれども、そのお出かけに際して、目的地という「点」しか目に入っていない人が、案外と多いものであるらしい。

最近だと、「インスタで見た、あの場所に行って、同じような写真を撮ってシェアしたい」なんていうのも多そう。そういった目的の良し悪しを論じるのは本題ではないので、措いておくとして。


これは自分が実際に遭遇した事例で、「予約したホテルがどこにあるか分かってなくて右往左往してる人」が本当にいる。そのホテルが、いま乗っている列車の終着駅の前にあると思っていたら、実は違っていてパニクった、という話だった。

目的地が「○○市」だから、店舗の名称に「○○」あるいは「○○市」が入っていて、かつ、お値段が納得できる範囲で適当に選んだ、ということであろうか。宿泊予約サイトでエリアと日時だけ指定して検索をかけると、確かに、それはありそうな話ではある。

自分は最終的に「地図で表示」を使って場所を確認しながら決めるので、そんなスットコな事態にはならないけれども。それは、日本のみならず海外でも同様。いやむしろ、海外でこそ場所をきちんと確認しないとえらいことになる。

これなんかまさに「点」しか見ていない典型例で、地図で全体の位置関係を把握していないのはバレバレ。でも、宿泊予約に限らず、他の分野でも似たようなことは起こり得る。

たとえばカーナビ。目的地を指定するのに、地図上で「ここに行きたい」と指定する方法だけでなく、目的地の名前あるいは電話番号を入力する方法でも目的地を指定できるのが一般的。便利ですよ、それは確かに。でもね。

名前や電話番号だけ知っていて、「何でもいいからそこまで連れてって」。そしてカーナビにいわれるがままに、右に曲がったり左に曲がったりして、最終的に目的地に着けば一件落着。でも、そんなにカーナビを信用しちゃっていいのかなあ。

ときにはトンでもないルートを出してくることがあるし、VICS からの「存在しない渋滞」を真に受けて回避ルートを設定、狭い裏道に連れ込まれることもある。高速道路を走っていて、トンネルを通過したら現在位置をロストして、いきなり近所の下道にワープしたカーナビすらある (1994 年ならともかく 2024 年の話である)。

自分はカーナビで知らないルートを示された場合、後で地図を見ながら「ふむふむ、ここを通ったのか」と復習して道を覚えるのがお約束だけれども、普通はそんなことしないだろうなぁと。

渋滞情報にしても、広い範囲の全体状況の中でどうなのか、を気にするのが自分のやり方だけれども、提供側はどうもそういう考えはないらしい。「目の前の渋滞」「目の前の順調」しか出してこないことがよくある。

電車やバスの経路案内にしても、目的地の名前を入力して候補一覧が示されたときに、「先頭に出てくるのが必ず、自分が行きたい場所である」とは限らない。そういう意識がなくてシステムを過剰に信じると、同名異所在の場所に連れて行かれる。

山陽本線の大久保に行こうとして奥羽本線の大久保に行っちゃった人、日本全国を逆さに振れば、1 人ぐらいは出てくるんじゃないだろうか。北海道の「江差と枝幸問題」にも似たようなところがある。


この手の「目的とする点しか見ていなくて、そこまでの導き (目的地に至る線) をサービスやシステムに全面依存してしまう」ことと、以前に書いたネットサービスの「おすすめ」への依存、根っこは同じなのかも知れない。

「自分に向いているものがおすすめされる」と無条件に信じ込んでしまうと、たとえば陰謀論がらみのコンテンツや言説にばかり触れることになり、道を踏み外すようなことが起きても不思議はない。

旅行でもその他のあれこれでも、最終目的地という「点」しか見ておらず、そこには便利なサービスが連れて行ってくれる… これは案外と危険な思い込みであると思うのだけれど。そこに行き着くまでの「線」や全体状況を無視したら、ロクなことにならない。「地図を読む」のは、大事な能力である。

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