Opinion : 倒す能力と新たに作り上げる能力と (2024/12/09)
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週末にお出かけしている間に、シリアのアサド政権が崩壊していた。
そんなことにならないように、狂犬もとい強権を駆使した弾圧的体制を構築していたのであろうに、それがあっさり崩れ去ったのだから、一寸先は闇。ただ、自分はこの辺の情勢に詳しくないので、なんであっさり崩壊したのかについて、確たることはいえないし、書けない。
ただ、有力な後ろ盾であるところのロシアが、ウクライナにリソースを食われていたことの影響は大きかっただろうな、とは思っているけれど。
とりあえず、強権的な独裁体制が崩壊したこと自体は喜ばしいこと。これはもう間違いない。ただ、これが小説だったら都合良く「話の分かる後継者」が出てきて新しい国作りに邁進することになるだろうけれど、現実にはどうだろう。と考え始めると、陰鬱な気分にならざるを得ない。
そもそもシリアの反政府勢力からして、単一ではなく複数、しかもそれらが互いに敵対していたりする。そんな状態で、「共通の敵」が消えただけでアッサリまとまるものか。それはまことに疑問。ヘタしたら「新たな内戦の始まり」になりかねない。
「独裁政権を倒す能力」と「新しい国家を作り上げる能力」って別物だから。だいぶ前に書いた気がするけれど、優れた反体制運動の指導者が、必ずしも優れた国家指導者にならないのと同じで。
同じように、「野党をやる能力」と「政権与党をやる能力」って別物になることがあるから。反対したり首を取ったりすることばかりしている野党に、果たして政権与党が務まるか ?
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当然、シリアがソマリアみたいなグダグダになる事態は避けたいところで、外部からの介入や支援が、これから起きることになるのだろうけれど。ただ、いくら支援しても当事者がその気にならないことには、始まらない。果たしてシリアの複数勢力が「小異を捨てて大同につく」ことができるか。
さらに厄介なのは、こういう形で生じた「力の空白」を利用しようとして、他所から首を突っ込んでくる輩が往々にして現れること。ロシアはアサド政権を助ける余裕がなかったぐらいだから、物理的な介入はしづらいだろうけれど。でも、違う形の介入ならあり得そう。拒否権とか拒否権とか拒否権とか。
そして、隣のレバノンにフロントを抱えているイランであるとか、クルド人勢力がいることからイランに加えてトルコとか、その辺の動向も問題になるのは当然のこと。するとどうなるかといえば、「そこに住んでいる人のことはそっちのけで、周辺のさまざまな思惑で、物事が勝手に動いて勝手にグダグダになる」事態が懸念されるところ。
なんて書いていると、「おめーはアサド政権が続いた方が良かったのか」といきり立つ人が出てきそうではあるけれど。んなこと思うわけがない。ただ、「アサド政権が倒れたのは良いことである」と「その後のことを考えると手放しでは喜んでいられない」は両立するんじゃないんですか。という話。
第一、どういう「まずい事態」が懸念されるかについて正面から向き合わないと、「まずい事態」が本当に起きたときに対応できなくなる。「まずい事態は起きて欲しくないので、まずい事態のことは考えない」は、こういうときにとっていい態度じゃない。
後は、「すぐやらないとマズいこと」と「後回しにできること」の区別だろうかと。本当は何でも最優先にしたいといっても、なかなかそうもいかない。そこで「とにかくこれを最初にやらないと、後で収拾がつかなくなる」という問題を拾い上げて、最優先で対応できるかどうか。
えてして、そういうときに「なんでこれを後回しにするんだ」と外から (自分の価値観に則って) イチャモンつける人が出てくるもの。そこで「今はこれを先にやらないとダメ」と反論できる指導者がいないと…
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