Opinion : おカネを賢く使うのは難しい (2024/12/23)
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ここのところの毎年、10 月から年末年始ぐらいにかけてアメリカ方面から流れてくるニュースを見る度に「もうちょっと、なんとかならないのか」と思うのは。10 月から新年度が始まっているのに、国防歳出権限法が成立しておらず、継続支出を余儀なくされていること。
これがたまたま、或る年だけの出来事で、というならまだしも、同じようなことを毎年のように繰り返しているのだから、予算を必要とする側はたまったもんじゃないと思う。O&M の分野はまだしも (いや、これだって「前年並み」で済むとは限らない)、RDT&E や装備調達の担当者なんか、頭を抱えているのでは。
おカネが必要なときに手に入らない、使えない。これは困る。
じゃあ、予算がたんまりつきました、必要なおカネはいつでも使えます、となれば問題解決、万々歳なのかというと、そんな単純な話でもないのでは。というのが今回の本題。おカネを使うにしても、上手な使い方と下手な使い方がある。
「若いうちにカネを使え」とか「経験を買え」とかいう話がいわれることがある。基本的には正しいのだけど、何に使ってどんな経験を蓄積するかが問題。ただ単におカネを使うだけでも、経済を回す効果はある。けれども、自分のために何が残りますか、ということも考えないと。
そこで我が身を振り返ると。たとえば、JR 線・民鉄線の全線乗りつぶしで日本を北から南まで飛び回ったことが、結果として「経験値」を上げて、さまざまなデータを蓄積して、その後の仕事でも役に立っているという実感はあって。
これはたまたま、「個人的な楽しみと仕事の境界があってないようなもの、それぞれが相互作用を及ぼしている」という特殊事情 (?) によるものであるけれども。
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もちろん、「どんな経験が何を残してくれるか」は人それぞれだから、それは自分で見つけないといけないこと。たぶん万人に通用する共通の正解はない。「何をしているときがいちばん楽しいか」「何をしているときにもっとも充実感があるか」を、自分で常に意識している必要があるのかなと。
それによって「自分の人生に必要なパーツ」が見えてきたら、そこにリソースをつぎ込むことで、その後の人生が豊かなものになる (かもしれない)。
ここまでは個人レベルの話だけれど、企業とかお役所とか国防組織とかいうレベルでも、やはり「単に、おカネがいっぱいあって気兼ねなく使えます」だけではダメなんじゃないかなぁ。なんてことを思わされる話を耳にした。
つまり「おカネを使うにも、識見や理念やビジョンや見通しが必要」という話。単に予算がいっぱいついたからといって、舞い上がってお買い物で使い果たしてしまって、(おカネだけでなくロジの面でも) 後年度負担を発生させたら、洒落にならない。
国防組織の募集難は、あちこちの国でいわれていること。もちろん「やり甲斐があります」といって薄給をごまかすのは論外であるし、生活環境の改善もちゃんとやっていかなければならない。ただ、それだけで人が集まりますかといえば、それもまた違うような。
何かの仕事をやってみようと思うかどうかは、「十分な収入があるかどうか」「職場環境・生活環境」「気持ち良く仕事ができるかどうか」「将来の見通し、キャリアパスに期待できるか」の相乗で決まってくるものであろうから、その一部だけ見ていても問題解決にならんだろうと。
極端な話、いくら待遇が良くても、パワハラ体質の職場や過重勤務の職場で長続きしますかといわれれば、それは無理。あと、いくら国の護りにとって重要な仕事だからといっても、期間限定の任期制、それが済んだら放り出されるのでは「先の見通し」が立たない。誰がそんな仕事に応募するよ ?
すると、「組織として構成員に何を求めて、そのために何を提供できるか」という理念が大事になる。それがあってこそ、どこにリソース (人とか物とかカネとか) を配分するかを決められる。
軍事作戦において、「性能のいいハードウェア」や「腕の立つ兵士」だけでなく、「それを何に対してどう使い、どういう結果につなげるか」という理念が大事なのと同じ。かも知れない。
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