Opinion : 気配りがルール化することの弊害 (?) (2025/1/6)
 

今回は、ちょっと毛色が違う話。

盆暮れ正月や GW みたいな、超繁忙期になる度に出てくるようになった話題で「区間利用なのに、長距離運行の列車に乗るな」がある。たとえば、東海道・山陽新幹線で、東名阪エリア内の移動なのに博多行きに乗るな、みたいなやつである。

似たような話は他所にもあって、たとえば東北新幹線で仙台まで行くのに新青森北斗行きに乗るのか、といった類の話が出てくることがある。でも東北新幹線の場合、「速達列車 = 遠くまで行く列車」という遠近分離型のダイヤだから、どうしてもそっちを選んでしまいがちなのは悩ましい。

ただは東海道・山陽新幹線の場合、東名阪エリアでも新幹線と在来線特急の乗り継ぎ利用があって、それは名古屋でも京都でも新大阪でも共通。「えきねっと」においては、東京から北陸方面に行こうとすると「のぞみ」と「ひかり」の乗り継ぎで米原乗り換えを提示してくることが多いから、これも含まれるか。

現実問題としては、博多まで行く "エース列車" に合わせて在来線特急のスジを引くものであるし、それ故にそうした列車は混みやすい。だから個人的には、超繁忙期における東名阪エリア内の移動では意識的に新大阪発着列車を、特に臨時列車を狙う。そうすれば指定席をとりやすくなると考えているから。


個人個人が、そうやって工夫をする分には何の問題もないのだけれど、問題は、それを「正義」として他人に押しつけて紛争のタネを撒いてしまうこと。

これに限らず、似たような話は他にもあって、たとえばリクライニングシート。自分はやらないけれども、前列に座っている人に「倒します」とか「倒していいですか」とかいわれることはよくある。そこで「ヤダ」なんていったことは、当然ながらない。

背ずりを倒すのは一向に構わないけれども、むしろドスンと座られる方がイヤ。だって、こっち側の背面テーブルが揺れるんだもの。

この辺の話、ハード的に・システム的に解決できる場面も、考えられそうではあるけれど。バックシェルタイプの腰掛にするとか、在来線特急との乗り継ぎの有無に応じて新幹線側で提示する列車の優先度を変えるアルゴリズムを仕込むとか。

このほか、どこまで話題になっているかどうか知らないけれども、たとえば「キャスター付きのトランクを荷棚に載せるときに、隣接する他人の荷物にキャスターが接するように置くのはどうなのさ」なんて話もあるやも知れず。

あと、「家族やグループでまとまりたいので、席を替わってもらえませんか問題」みたいに、状況次第・話の持って行き方次第で結論が変わりそうな問題もある。

ともあれ「互いに相手を思いやって気配りしたり工夫したりすれば」で済ませればいいものを、わざわざ言語化・ルール化することで、却って紛糾の種になる場面はチョイチョイあるんじゃないかなあ。というのが今回の本題。

さらに、その言語化・ルール化をメシの種にしている商売まで存在するのだから、なかなか根深い。メシの種にしないとしても、「正義」を振りかざすことに付随する一種の快感に釣られてしまう場面もあるわけで、これはこれで根深い。


たぶん、気配りとかマナーとかいうものは本来、フワッとしたところがあって。煎じ詰めると、「こうした方がお互いに快適に過ごせるよね、気持ち良く過ごせるよね」という話で、「いちぜろ」で示せる明確な境界線はない。相互の譲り合いや調整で適宜、解決する種類の話。

ところが、それを明示的に言語化・ルール化すると、えてして「侵してはならない決まり事」に変質してしまう。それだからこそ、それを他人に強引に押しつけようとする人も出てくる。

問題は、気配りとかマナーとかいったものを通じて「お互いに快適に過ごせるよ、気持ち良く過ごせる」という目的を達成しようとしていたはずなのに、言語化・ルール化することで「決まり事を守らせること自体が目的」になってしまうこと。

つまり、毎度恒例の「手段の目的化」。その行為を通じて何を実現するんだっけ、という話よりも、行為そのものを強制することにポイントがずれてしまう。

ただ、同質性の高い集団なら「わざわざ言語化・ルール化しなくても」となるけれども、多種多様なバックグラウンドを持つ人が一緒くたに暮らしていると、そうもいかない。そうなると逆に、明確に言語化・ルール化する方がトラブルにならない、との論にも正当性が出てくるから難しい。

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