Opinion : 攻撃第一主義の陥穽 (2025/1/27)
 

アメリカ軍では、将官に昇任しようとすると、上院軍事委員会による承認を得なければならない (昇任だけに)。その際、議会に呼ばれて質問攻めに遭うのが恒例であるらしい。そこでボロを出せば、へたすると昇任がパーになる。将官だけでなく、文民の幹部ポストでも、議会が承認しないせいで空席ポストができることがある。

あと、何かの装備開発・調達計画の責任者。大きな計画の責任者を務められるかどうかは出世に響くのだろうけれど、その計画が費用超過やスケジュール遅延に見舞われたら、さあ大変。これまた議会に呼びつけられて質問攻めに遭う。でも、それを切り抜けないと予算をもらえない。国防歳出権限法を作るのは議会だから。

民間企業のトップが議会に呼ばれることもある。トヨタの豊田章男会長が、社長になってすぐの頃に議会の公聴会に呼びつけられたのは、その一例。

呼びつけられる方は大変だよなあと思うけれども、それを切り抜けることができれば、「鍛えられ方が違う」ということになる。もっとしたたかな人になると、議会をうまいこと味方につけてしまうようにもなる。誰のこととはいいませんけれどね。


話は変わって。ときどき、「我が軍は無敵」とか「我が軍は攻めるものであって、退却なんてあり得ない」みたいなことをいう軍隊がある。それが、兵隊の士気を鼓舞するための方便であればまだしも (いや、それだってあまり褒められたやり方ではない)、当事者が本気でそう思ってしまい、教育訓練にまで影響するようになったら大問題。

その挙句に、退却戦や遅滞行動の訓練がおざなりにでもなれば、本番で要らぬ血を流すことになりかねない。それに、防御陣地の抜き方も、構築の仕方も、両方分かってないと。抜き方が分かるからこそ構築に役立てられるし、逆もまた同様。

つまりは「攻めることだけ考えてる」あるいは「攻めることしか知らない」個人や組織って、何かの拍子に守勢に立たされた途端にガタガタになっちゃう危険性を内包してるんじゃないですか。というのが今回の本題。

実際、個人的に経験したところでも、そんな事例を目の当たりにしている。どこの組織のこととはいわないけれども、普段はたいてい相手が下手に出てしまうような立場にいると、知らず知らずのうちに、「相手が反撃してくることなんてないだろう」という意識が染みついてしまう可能性があるみたいで。

すると、いきなり想定もしていなかった反撃を食らった時に、言い返せなくてフリーズするようなことも起きる。ちなみに自分は、そこで一言ぶちかましてフリーズさせた側であったけれども。

だから、日常的に誰かを攻めたり吊し上げたり責め立てたりしてばかりいる個人や組織は、それが当たり前だと思ってしまわないかと。すると、自分が逆に攻められたり吊し上げられたり責め立てられたりすることになったら、これはもう大惨事。

なにせ、どうやって守ったり切り抜けたりはぐらかしたりするか、そのノウハウが欠如しているわけだから。

普段から、何かと批判的な視線にさらされがちなポジションにある組織の方が、むしろそういうところはしっかりしそうなもの。仕事の絡みで、そういう「守りを固めている」事例も目にしている。公にしていいかどうかわからないので、具体的な話を書けないのが惜しいところであるけれども。


これも、もしかすると「今あるものはずっとあると思うな」案件のひとつなのかも。いま攻めたてる立場にあるからといって、それがずっと続くと思うな、守勢に立つ可能性も考えて備えておかなければ駄目だ、とかなんとか。

素人目には「攻撃」の方が「防御」よりも格好良くてイケてるように見えるかもしれないけれど。でも、防御がちゃんとできない組織は結果として、ここぞというときの攻撃力も落ちるものなのかもしれない。

それに、防御するといっても話は簡単ではなくて、何を護るか、何を優先して何を切り捨てるか、それをどうやって実現するか、という理念、ドクトリンを普段から持っておかないと。それを「有事」になったときにいきなりやれといっても無理だってば。

不祥事をやらかした企業やお役所の、会見や後処理がグダグダになることがある一因は、その辺にあるのかもしれない。

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