Opinion : 手段への過依存はまずいですよというお話 (2025/2/3)
 

少し前に、「スマホや AI を使うとバカになる」という言説を見かけた。

現実問題として、対話型の AI になにか訊いてみたらスットコドッコイな答えが返ってきたとか、生成 AI に画を描かせてみたらトンチキ画ばかり吐き出すとか。そんな類の話はいろいろある。

答えがスットコドッコイなのかどうかを判断できるのは、自分の中に、判断基準となる知識の土台があるから。画がトンチキだと笑っていられるのも、自分が正しい答えを知っている、あるいは自分が所望する答えが分かっているから。

でも、そういう判断基準とか答えとかいったものを持ち合わせてなくて、何も考えずに無条件に信用して「正解はスマホや AI の中にある」と信じ込んで、依存すれば、それはおかしなことになっても仕方がない。


そもそも「○○を使ってるとバカになる」系の言説は、なにも今に始まったことではなくて。新しいテクノロジーやサービスやデバイスが出て来たときには、往々にしていわれていたことじゃなかったのかと。「今時の若い者は」と同じデンで。

たぶん、数十年前には「テレビばかり観ていたらバカになる」といっていた人がいただろうし。しかし実のところ、これはくくりが大きすぎる話で、本当は「どんな番組を観て、それをどう咀嚼するか」次第。それを間違えればバカになることもあろうし、うまく使えば有用になる。

新しいテクノロジーやサービスやデバイスが出て来たときの反応は、えてして両極端に分かれる。「○○を使っているとバカになる」みたいな極端な否定に走るやつと、「○○を使っていないで従来の△△を使ってるのは情弱」みたいな極端な肯定に走るやつと。でもって、そこに個人的な利害が関わると、もうワチャワチャになる。

それと、「新しい○○にいち早く気付く、情報感度が高いワタシ」を愛して、アピールしたがるパターンもありがち。そういう種類の発言・投稿を盲信すると、良い方向には行かないだろうなぁ。

ことに極端な肯定に走るケースでは、「ユーザー」「カスタマー」を通り越して「信者」になってしまう。テクノロジーや製品やサービスに限らず、個人や企業や政党が相手でも同じことが起きる。そうなったらもう冷静な評価や判断はできないし、そりゃ依存状態にもなろうて。

最近、「SNS 批判」みたいな話が出てきたけれども、これとて根本的には「盲信したり依存したりするのがマズい」に行き着くんじゃなかろか。

何のフィルターもかかっていない、グチャグチャといっていいぐらいに多種多様な情報が押し寄せて来る。そこで自分が見たい情報、見て心地いいと感じる情報だけ拾い続けて、それを盲信していれば、エコー チェンバーに落ちるのは自明の理。

逆に、自分が叩きたい情報や言説を探し求めて、朝から晩まで憤怒の限りを尽くしていれば、最後には人格やメンタルが壊れる。好き嫌いは誰にでもあるものだけど、アンチという娯楽にハマりすぎると困ったことになる。

ただ、そういう方向に仕向けようとする、サービスあるいは機能が前面に出てきているのも事実で。うちの Threads の「おすすめ」なんか、おそらくはアルゴリズムによる意図的な方向付けにより「自慢や知ったか」「愚痴」「アフィ厨」で埋め尽くされていて、治安が悪いことこの上ない。だから見ない。見てもリソースの無駄。

(Twitter だって、「おすすめ」が、見てもリソースの無駄だと思うのは似たようなもん。だから基本的には見ない)


その「見てもリソースの無駄」みたいな判断をするためにも。デバイスやテクノロジーやサービスといった「手段」に囚われず、のめり込みすぎず。手段はあくまで手段であって、それ自身が目的ではないのだから。

その、デバイスやテクノロジーやサービスを少し引いたところから眺めた上で、「それを使って自分は何をしたいのか」という目的意識、「自分が必要とするものを適切に選び出せるか」という基準や意識を持ち続けることが重要なんじゃないかしらん。

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