Opinion : 発言よりも意図、見出しよりも元発言 (2025/2/24)
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ドナルド トランプ米大統領が就任してからこちら、毎日のように「大統領がこんな発言をした」「大統領がこんな挙に出た」というニュースが流れてきて、それに対して一喜一憂・悲憤慷慨するなどの反応が見られる今日この頃。皆様いかがお過ごしでしょうか。
これが大統領一人だけならまだしも、手下の大金持ちのコドモがまた人騒がせなことばかりしていて、これもまた「ニュースを見聞きしての一喜一憂・悲憤慷慨」の原因を作っている感がある。
そうなる気持ちも分からないではないけれども、「反応すべきはそこか ?」と思う部分もある。
以前からいっていることの繰り返しになるけれども、なにがしかの組織や国家のトップが発言したり行動したりするときには、表面的な「何をいったか、何をしたか」よりもむしろ、「その発言や行動を通じて何を実現しようとしているのか」を考えないといけないのでは。
個人的には、いわば「トランプ ドクトリン」のようなものがあると思っていて。
それはたとえば「初っ端に、衝撃的・刺激的と受け取られそうな、ある種の過激な発言をかまして相手をビックリさせておいて、そこから自分が望む落としどころに相手を引き込もうとしている」んじゃないか、という話。(注 : 個人の推測です)
ことに、うちら日本人は基本的に「ま、ま、ここはひとつ穏便に」と事を荒立てず、騒ぎにならないように物事を解決しようとする傾向があるように思う。同じ日本人同士の交渉事であれば、それでうまくいくことは多いだろうけれど、トランプ大統領みたいな人が相手だと、どうだろう。
ひょっとして、最初の一撃でビックリしてしまい、「なんとか穏便に納めなければ」といって相手のペースに乗せられるようなことにならないかしらと。
なにもトランプ米大統領に限らず、プー 1 号だろうがプー 2 号だろうがその他の人だろうが、「何をいったか、何をしたか」よりも「何を実現しようとしているのか」を考えるべき、というところは共通している。
だって、発言や行動はあくまで「手段」だから。本当に重要なのは、その「手段」を通じて、どういう「効果」や「結果」を引き出そうとしているか。それを見据えた上で、どう対応するか、どう対処するかを考えていかないと。
で、昨今のアメリカの様子に関して伝えられるあれこれを見ていると、その「トランプ・ドクトリン」を通じて、「利息の付いた揺り戻し」が起きているんじゃないかと感じられる。
そのときどきの情勢や関係者の力関係などに応じて、国家や社会が特定の方向にグワーッと振れることは、日常的にある。ただ、その振れ幅があまりにも大き過ぎた場合、それに対する反発も振れ幅に見合うかのように増大・蓄積されて、それが何かの拍子にドカンと炸裂する。今はそういうフェーズにいるんじゃないかと。
トランプ政権が今の調子であれこれやらかすと、きっと後になって利息の付いた揺り戻しが来るぞこれは…
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ここまでの話は、報じられる「発言」「施策」が事実通りという前提。ただ、施策はともかく発言になると、反射的に反応してしまうのはちょっと危険じゃないのと思う部分がある。それはいうまでもなく「刺激的な、皆が釣られやすい部分だけを切り出したり、曲解したり、といったことが起きている可能性はないか」と疑ってしまうから。
あと、記事全体で見ると正しく伝えていても、見出し詐欺が発生している… なんて事態も起こり得る。ネット上のニュース記事の多くで、程度の差はあれいえることだけれども、読み手を引き込むために、意図的に刺激的な見出しを付ける場面は引きも切らない。その結果として「見出しと中身が真逆を向いてました」なんてことになったら ?
その「刺激的な見出し」の中でも、個人的に安直になりやすいと思っているもののひとつが「○○の衝撃」というやつ。それ本当に衝撃的なんですか、状況が見えていなかったから衝撃的だと感じただけなんてことはないんですか、と。
よって「見出しだけに釣られない」「発言そのものに釣られるよりも、発言の背後にある意図が大事」ということで。(それだけのことを書くのにこの分量 ?)
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