Opinion : 一発逆転のゲームチェンジャー願望 ? (2025/3/3)
 

「丸」最新号の特集はロケット戦闘機「秋水」。大戦機の特集で自分に出る幕はないし、編集部もそれは承知しているから、声がかかることもないし。よって、いち読者として、できあがった記事を眺めることになる。

レシプロ エンジンとプロペラの組み合わせで性能向上を図ろうとしても限界がある、それならまったく別のやり方で… という考え方は分かる。そしてロケット推進にすることで、上昇力や最高速度は劇的にアップ。それも分かる。

でも、それを実戦配備したことで戦局がひっくり返りましたかね ? となると、個人的には懐疑的。航空戦という分野の、そのまた一部においてバランスをいくらか動かす以上の話にはならなかったと思えるので。

優れた速度や上昇力を発揮できるのは燃料がある場合に限られ、短時間で燃料を使い果たせば、後は滑空して降りてくるしかなくなる。そして実際、そこを狙い撃ちされることになった。それでは戦力維持もままならない。おまけに、燃料が有毒で扱いづらいとか、そもそも燃料を十分に安定供給できるのか、とかいう問題もあった。


開発した当事者からすれば、いまどきの言い方をすれば「これはゲームチェンジャーだ」という意識があったのかも知れない。「秋水」に限らず、たとえば「震電」もそうだけれど、それまで慣れ親しんできたものとは異質の新兵器は、えてして人の心を惑わせる。「これさえあれば、なんとかなるんじゃないか」みたいな形で。

でも、拙著でも書いたように、単に性能面・能力面の優越があるだけでは「ゲームチェンジャー」とはいわない。ゲームの道具だけの話ではなくて、どういう風に「試合」をするかという、「ゲームのルール」をひっくり返すようなものこそゲームチェンジャーというべき。大事なことだから何回でも書くけれど。

なんだけれども、「何か革新的な新兵器を開発・配備して、戦局を一挙にひっくり返して…」みたいな大逆転願望には一種の麻薬性がある。フィクションの世界では、その種の話がいっぱい出てくる。

してみると、その種の「一発逆転願望」とか「ゲームチェンジャーという言葉の乱発」が生じる背後には、不利な立場にいる、不利な状況に置かれている、といった閉塞感・行き詰まり感のようなものがあるんではないのかな。というのが今回の本題。

そういうときほど、何か目新しいものを見ては「これがあれば形勢逆転になるのでは」といって、パッと飛びついてしまうのではないか、と。


で。いわゆる活動家系の人達にチョイチョイ見られる傾向の話を (よその業界でもありそうだけど)。

昔は街頭演説とかビラ撒きとかいう手段があって、それはどちらかというと局地的。ところが、パソ通やらインターネットやらといったものが出てきたことで、誰でも全世界に向けて何かを公開できることになった。そして、さまざまな媒体、さまざまなサービスが出てきた。

パソ通の電子掲示板に始まり、スタティックな Web サイトの製作、blog、各種 SNS などなど。新手のサービスが登場する度に、さっそく飛びついてはアカウントを作り、あれこれ投稿するなどしている。

でも、「使う道具」は変わっても、本質的な「試合のやり方」とか「主張の内容」とか「論旨展開」は大して変わっていない。十年一日、大して変わり映えのしないことを主張するのに、スタティックな Web サイトだと受け入れてもらえないけど blog なら受け入れてもらえる… そんなことがあるか ? Twitter だろうが facebook だろうがインスタだろうが mixi だろうが、何でも同じことだけれども。

利用する手段、あるいはその手段の向こうにいる受け手を考慮した、最適な「試合のやり方」を持ち込むと、また事情が違ってくる可能性はある。

それならまだ分かるけれども、いってる内容が変わり映えしないのに道具だけ変えて、それでゲームチェンジャーのつもり、一発逆転を期するつもりでいたんだとしたら ? もっとも、思い通りに事が運ばないという焦燥感のようなものがあるから、目新しいツールに飛びつきたくなるのかも知れないけれども。

これが活動家の業界ならともかく、国政・外交・国防のレベルで同じような「目新しいツールに飛びついて一発逆転を期待する」マインドになったら危ない。

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