Opinion : 危機意識の持続は難しい (2025/3/17)
 

一応、「訓練が行き届いた静岡県出身者」の端くれなので、自宅の主な家具はみんな転倒防止策を講じてあるし、非常用の食い物などもそれなりにストックしてある。ただ、普段はストックしてあるだけだから、賞味期限を忘れることがある。

ときどき、思い出したようにチェックして「うわ、半年前に賞味期限切れだわ」と呆れつつも食べてしまうのだけど、それで特に身体の調子が悪くなったことはなく。もともと、賞味期限は十分なマージンを取ったものであろうし。

そもそも「非常時への備え」は、普段は出番がないわけだから、つい存在を失念してしまうことがある。よくある話であるけれども、食い物、それも一人分ぐらいなら大した実害はないし、賞味期限を過ぎてから食っても笑い話で済む。


でも、同じ「非常時への備え」でも、スケールが大きくなると、どうだろう。

大きな地震が起きると「病院船を導入しろ」、先日の大船渡みたいに山火事が起きると「消防機を導入しろ」といい出す人が現れる。でも、以前に病院船導入に絡んで書いた記事の通りで、「平素に維持するときのことまで考えてる ?」となる。

病院船でも消防機でも、ハードウェアだけあれば済むわけではなくて、それを動かす人、整備する人、それらにかかる諸経費などといった負担が日常的に発生する。ハードウェアは常に点検整備しておかなければ、いざというときの役に立たない。それに、そもそも機械というやつは、普段から動かしておかないと調子が悪くなりがち。

ことに病院船だと、医師や看護師を乗せる必要があるわけで、それをどう確保 & 維持するのか。そこまで考えて「病院船導入論」をブッてる人は、滅多に見かけない、たいてい、ハードウェアのことしか見ていない。

となると結局のところ、キャッチーな話題に乗っかって「いかにも正当そうな主張をする、ええかっこしい」でしかなくなってしまう。

冒頭で書いた非常食でも、PC のデータや設定を対象とするバックアップでも、病院船や消防関連機材でも、はたまた軍事力でも。「もしものときへの備え」はたいていの場合、出番よりも待機している方の時間が圧倒的に多いもの。

その、平素の待機期間中に能力を維持し続けることが最大の課題。当然ながら、相応の人手とモノと費用を必要とする。

最初のうちは「危機の記憶」が残っているから「維持に費用がかかるのも仕方ないよね」と納得していても、記憶が薄らいでくると、「何でこんなところに費用をかけなければならないのか。無駄じゃね ?」といい出す人が出てくるもの。

たぶん、御家庭での家具転倒防止なども、事情は似ているのでは。痛い目に遭って対策を講じた、その当初はいい。でもそのうち、時間が経過するとだんだんと危機感が薄れてきて、施策が疎かになっちゃうなんてことはないだろうか。

似たような話で。昔から「災害の危険が考えられるから」といって人が住まないようにしていたはずの土地に、災害の記憶が薄れるにつれて、なし崩し的に人が住み着いたり住宅地が開発されたり。そんな話はなかったっけ、と。


危機ってやつは、(たいていの場合には) そう頻繁に起きるものではないけれども、いったん起きると大変なことになる。だから「危機への備え」が必要になるけれども、そこで当初のマインドを維持し続けるのは簡単ではなくて。平穏な日々が続くと、「少しだけなら」『少しだけなら」といって、少しずつ備えが食いつぶされていくことになりがち。

そして、平素は「非常時の備えなんて無駄じゃね ?」というような人に限って、いざ何かが起きると「なんで備えをしていなかったんだ」とわめき散らすんじゃないかと思っていて。

だから「非常時への備え」については「いかにして維持するかという方策」を最初からワンセットにしないと持続できないし、さらに、当初の危機意識をいかにして持続するかという課題もついて回る。少なくとも、そのことを念頭に置いた上で「○○に備えて△△が必要」論に乗って欲しいと思う次第。

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