Opinion : 対立しそうなモノの見方の共存 (2025/6/30)
 

なんか最近、改めて、気になってモヤモヤしている話があって。

生身の人間のことだから、さまざまな人や物事に対して「好き」「嫌い」の感情を抱くのは当然の話。ただ、いくら好きだから、推しだからといっても、贔屓の引き倒しになってしまえば、それは却ってマイナスに働くんじゃなかろうかと思う。

なんとか弁護しよう、擁護しようとするあまりに、「他所だって同じじゃないか」「他所だって同じことをしている」などと、中森明菜の歌みたいなことを (古) いっている人を見かけることもある。

それは「嫌い」の場合も同じで、いくら嫌いな相手だからといって、その相手のすることを一から十まで否定しないと気が済まない、叩かないと気が済まない… となったら、それが原因で足元をすくわれることになりゃせんかなあと。

そういう話がチョイチョイ目に付くわけ。もっとも、自分だって同じ落とし穴にはまったことがあるわけだけれども。


ついつい物事が両極端に振れやすい御時世だからこそ、「是々非々」って重要じゃないかと。個人でも組織でも国家でも、プラスの一面もあればマイナスの一面もある。その両方をひっくるめて認識した上で、贔屓する or 嫌になる、でいいじゃないのと。なにも「すべてを肯定する」「すべてを否定する」の二択になる必要なんてない。

いま現在、プー 1 号がウクライナでやっていることはまったく弁護できないけれども、じゃあロシアという国家にまつわるすべての物事を否定する必要があるのかといえば、そういう話にはならない。別に、ロシア料理屋に行ってロシア料理を食べながらプー 1 号の悪口を言ったっていい。

それはプー 2 号についても同じこと。いや、どこの国家元首が相手でも同じか。

だから、「パンダってかわいいよね」と思うことと「北京がパンダを外交兵器、心理戦兵器として使っている」と認識することは、特段に矛盾する話ではないし、共存できる。どちらも現実であり、事実だもの。

「○○って運転してて楽しい車とは思えないなあ」と思うことと「カメラ機材をドカっと持ち込んで動き回る足として、けっこう便利。ウォークスルーできるから、外に出なくても後席に置いた機材にアクセスできるのがいい」と思うことも共存できる。


もっとも、ネット世論とリアル世論の乖離はよくある話であるし、ことに SNS 空間なんてのは「極論ほど広まりやすい上に目につく」傾向があるから (運営側もそれを煽っている)、ネット上に渦巻く好き嫌い論ばかり見て判断するのも、まぁ危険な話ではある。

ただ、「嫌いな誰かさんのことなら何でも叩け」は、必ずしも SNS 空間に限定された話ではないし、報道機関なんかも往々にして同じ罠にはまる。メディア業界の端っこで禄を食んでいる身としては、同じ罠にはまらないように気をつけないといけないなぁと思う。

だいたい、「○○を監視しなければならない」「○○には批判的であらねばならない」というスタート点に立った時点で、すでにポジションがニュートラルでない。「批判的な視点も忘れない」ということと「常に批判しなければならない」の間には、実はおっきな断絶がある。

なんにしても、「好き」とか「嫌い」とかいう感情と付き合ったり、折り合いをつけたりするのって難しい。暑い中で取材をやって頭がウニになってるので、今日はこの辺で。

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