Opinion : ナラティブと麻薬 (2025/11/24)
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また認知戦の話。
しばらく前から、自著で「心理戦・宣伝戦の場としてのサイバースペース」という話を指摘していた身としては、「ほらみろ」感があるのだけれど、そういう子供じみた感想はとりあえず措いておくとして。そんなことより、いかにして対処するかを考えないといけない。
そこに先日、「認知戦を仕掛ける側は、怒りの感情を利用する」という話が流れてきた。すごく納得がいく。
「怒りを娯楽として消費するネット空間」という指摘がある。さまざまな「怪しからん」が流布されては、多くの人がそれに対して「怒り」を表明する。でも、それって「ネットの噂も 75 時間」なので、しばらくするとみんな忘れて、また別の話題で「怒る」。その繰り返し。
そうした中で、朝から晩まで、手当たり次第にさまざまな話題に食いついては「怒る」人がいる。いわゆる「ネット de 世直し」な人、といいかえてもいい。
その種の人については以前から、「世界を救う前に自分を救えてる ? 自分ひとり救えないのに世界を救えると思ってんの ?」と思っていた。でもこれ、実はとんでもない勘違いだったのかも知れない。
つまり、話の順番が実際には逆で、「ネット de 世直し」で世界を救おうとして、手当たり次第に「怒る」ことが「自分を "ひとかどの人物" に押し上げて救済する結果になると信じている」と。そんなロジックで動いてる可能性はないのかしらと考えた。これはあくまで仮説であるけれども。
ともあれ、そうやって日々、憤懣をぶちまけている人にとっては、実は「怒り」の発生源、あるいは「怒りの感情」を裏付けるナラティブ。そういったものが欠かせなくなってしまう。
それなら、その種の人に対して、耳当たりのいいナラティブ、「あなたの怒りは正当ですよ」と思わせてくれるナラティブをぶら下げれば、容易に食いついてしまうことになる。それを繰り返せば、ナラティブが一種の麻薬として機能することになる。やがて禁断症状を起こすことになってもおかしくない。
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もしも、先の仮説が正しいのだとすれば、「怒り」のネタがなくなったら、「怒りを通じた自身の救済 (気分)」も成立しないわけであるし。
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その辺の図式は、いわゆる陰謀論ビジネスの分野も同じであるけれども。ただ、個人や組織が金儲けのためにやる陰謀論ビジネスと、国家レベルで他国に対する影響力工作として仕掛ける認知戦では、だいぶ重みが違う。
よく、「認知戦に対しては正しい情報の速やかな提示が必要」といわれるし、それは実際、その通りであろうと思う。地味だけれども、手を抜いてはいけない種類の話。ただし、それだけで特効薬になるかというと、それもまた違うだろうと思える話。
第一、そういう情報は「聞く耳がある人」のところにしか届かない。「耳当たりのいいナラティブ」「自分を正当化できるナラティブ」という、一種の麻薬にどっぷり浸かってしまった人は、正しい情報に対して精神的遮断機を働かせてしまいがち。
正直に白状すれば、「こうすれば解決するのでは」という具体案は思いつかない。ただ、認知戦にどっぷり浸かって「役に立つ馬鹿」になってしまった人、あるいはそうなりかねない人に対してどう対処するべきかとなったときに、「麻薬対策と同じような考え方、アプローチをとるのはどうだろう ?」と書いてみたかった。
あっちが麻薬みたいな仕掛けをしてくるのなら、こっちは麻薬対策と似たようなドクトリン (?) で立ち向かってみたら。とまぁ、そういう話。
あ。ただし、フネを爆撃して沈める (物理) とかいうのは無しで。
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