Opinion : 新しい技術や製品やサービスとどう付き合うか (2026/1/5)
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自分は自他共に認める (?) テクノロジーヲタクであるけれども。ただし同時に、技術の進歩が往々にして、社会の規範・制度・法規制、あるいは人間が持っているキャパシティを飛び越してしまうこともあるのは認識しているつもり。
あと、技術は手段であって目的ではないし、技術を使うこと・それ自体が目的になるのは本末転倒ということも、折につけて書いたりいったりしてきている。
ただし現実問題としては、「技術を使うこと」を目的にしてしまったり、「技術を使っていること」をアピールポイントにしてしまったり、という事例はいろいろある。
また、技術の進化、あるいは新しい技術の活用が、果たして本当に人々を幸せにしているのか、社会のためになっているのか、と疑問に思えてしまう事例も目にする。昨今の典型例だと、SNS 業界における「人工知能 (AI : Artificial Intelligence) を活用したおすすめ」なんてのが該当する (個人の見解です)。
実のところ、「おすすめ」を見ている人がいちいち、それがどうやって生成されて、自分のところに送りつけられてきているかを意識しているとは思えない。たぶん、少なからぬ人は無意識のうちに見ているであろうし、無意識のうちに「おすすめ」に引っ張られている。
しまいには「AI がこういっていたから、これが正しい !」と主張する人も現れてきていると聞く。どうしてそんな無邪気に AI を信じられるのか。生身の人間ですら、信じられる人もいれば、信じられない人もいるというのに。
でも、技術は手段、技術は黒子という観点に立てば、それは当然の帰結。
軽自動車に軽油を給油するという笑い話があるけれども、これだって「クルマは移動の手段であって、それがどういう技術、どういう仕組みで動いているかには頓着しない。ただ燃料を入れないと動くのは分かっている」という人にしてみれば、当然の反応であるかも知れない。
そもそも論として、何かの製品やサービスを利用する際に、それが立脚している技術や仕組みを、ボルトやナットに至るまでいちいち把握しろと要求するのは、非現実的という現実は認めざるを得ない。
では、技術や製品やサービスを送り出す側の良心に期待するのか。これはこれで問題があって、もちろん良心を発揮する人はいるだろうけれど、そうならない人も必ずいる。どんな技術でも、善用する人もいれば悪用する人もいる。
そして悪用が目に余ったり、何か惨事を引き起こしたりすると、ようやく規制のメスが入る。ところが、規制ができると今度は、規制の抜け穴を探す人が出る。前にも書いたように、善用する人よりも悪用する人の方が機敏かつ悪知恵が働くので、悪用を阻止する側は後手に回りがち。
この場合の「悪用」とは、本来の意味での悪用だけでなく、既存の制度や法規制の隙間、バグを突くような手法も含めての話。昨今、その手の話が目につくように思えるし、それを実現する過程もまた、技術の進歩によって支えられている部分がある。
技術の進化が社会の規範・制度・法規制、あるいは人間が持っているキャパシティを飛び越してしまうような事態に至ったときに、利用者がそのことを認識して、適切に自分をコントロールして技術と付き合わなければ… と主張したいところではある。
押し寄せてくる情報の洪水が手に余ると思ったら、自分なりの基準で選別して残りを切り捨てる。新しい技術や製品やサービスが出てくる度に、あの手この手で「使え使え」の大合唱になるけれども、それが本当に自分が必要としているものなのか、あるいは自分の役に立つものなのかを判断して選り分ける。etc, etc。
でも、これって「自分なりの基準」とか「自分がやりたいこと」を明確に持っているからこそ成立する話。そうでなければ、判断基準がないから判断ができない。うー。
とはいえ、「流れ込んでくる、あらゆる情報を捌いて、反応しなければならない」「あらゆる通知は迅速に見なければならない」「新技術という名のバスに乗り遅れてはならない」等の強迫観念を捨てるか減らすかするだけでも、ちっとは楽になると思うのだけれど。
最近増えている AI フェイク画像・AI フェイク動画の類なんかまさに、この「反応しなければ or 反応したい」という部分を突いてきているものであるのだし。
(ところで、もしかすると来週はお休みしてしまう可能性が)
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