スキー三昧の冬に至るまで
 

以前からスキーというものに興味はあった。ところが、若い頃はカネがなかったし、もう少し年を食ってみたら、今度は経済的余裕はできたが時間がなかった。それに、何事も最初の一歩を踏み出すのがもっとも大変なわけで、ゲレンデ デビューするきっかけがなかったというのもある。
そんな中、会社を辞めて独立する腹を固めた 1998 年の暮れに、とある人に雪山遊びに誘われて、それがすべての発端になった。行った先は栂池高原。

今でこそ、「栂池 = 緩斜面が広い = 初心者を連れて行くのによい」という程度の認識はあるが、当時はそんなことも知らずに行ってしまったし、そもそも 1998 年 12 月の栂池高原は、ろくに雪がなかった。ベースの緩斜面ときたら芝生ばかりで、「どこがスキー場やねん」という状況。
そんなわけで、いきなりゴンドラで栂の森まで連れて行かれた挙句、他のコースに雪がないせいでブタ混み状態の「ハンの木」で、初めて板を履いて雪の上を滑る羽目になってしまった。当然、まともに滑れるはずがない。初めてスキーを履いた人の多くがそうだと思うけれども、板が先行して後傾しまくりの空気イス状態。あの大混雑で、人と衝突しなかったのは奇跡的。

今にして思えば、これで嫌にならなかったのは不思議だが、会社を辞めて独立しようと決めていたあたりから妙にチャレンジングになっていたせいもあり、嫌になるどころか、逆に「モノにしてやろう」と気負い立ってしまった。幸い、独立した直後にそんな仕事があるはずもなく、時間はたくさんある。
ところが、時間はあっても、今度は師匠がいない。当時は調布に住んでいたので、クルマで出かけられる中央道沿線の富士天神山とか富士見パノラマあたりに、1999-2000 年シーズンにかけて合計 6 回ほど通ったものの、大して上達しなかった。おまけにその後 3 シーズンばかり、冬というと仕事が忙しくなってしまい、スキー場通いは中断してしまう。


そんな状況の中、別件で知り合った、とある方が、なんと SAJ 指導員の資格をお持ちのスキーの達人だということを知った。しかも、「ボーゲンなんて要らない。いきなりパラで滑れるようにする」というのだ。これは面白い。ムクムクと「スキー行きたい熱」が復活してきた。

なんでも、師匠が「いきなりパラで滑るための指導法」を試すのは初めてだったらしい。口が悪い言い方をすれば「人柱」だが、それもまた楽し。そんな次第で、2004 年 1 月、なんと 4 シーズンぶりに、尾瀬岩鞍のゲレンデに立つことになった。その尾瀬岩鞍で 2 日間の特訓を受けたおかげで、「脱ボーゲン」のきっかけにはなったものの、まだまだスピードが出るとおっかないので、直滑降とか斜滑降とかいうよりも、大半を横滑りしてスピードを殺していたような気がする。実に気に入らない。もっと上手になりたい。

幸い、引っ越してからというもの、新幹線へのアプローチが格段によくなっている。そこで、新幹線を駆使した日帰りスキーが始まった。距離的に手頃な越後湯沢界隈の、それも駅から近い神立高原や NASPA で何回か練習したが、毎回、下手は下手なりに何かをつかみ取ることができたような気がしている。
あと、リフトの上ではたいてい、上手そうな人を探して滑りを観察するようにしている。もちろん、その通りに滑れれば世話はないが、目指すべきイメージがあるのとないのとでは、全然違うハズだ。

安比高原・白樺ゲレンデにて この、越後湯沢における前哨戦に続いてのハイライトは、2 月の盛岡出張に続ける形で乗り込んだ安比高原。なにせ雪質は定評のあるところだし、ここに行くと 2 割ぐらい上手になったような気がする (当社比)。実際、ベースの緩斜面を早々に切り上げて、ゴンドラでトップに上がってロングランに挑戦してしまったのだから、その悪乗りぶりたるや推して知るべし。しまいには、それまで敬遠していた中級者表示のコースにも突撃する始末。
その安比で妙に自信をつけてしまい、その後も空き時間を強引に作ってはスキー三昧の日々を過ごしている。さすがに、これだけ場数を踏むと、そこそこ滑れるようになってきたような気がする。

Contents
HOME
Works
Diary
PC Diary
Defence News
Opinion
Ski
About


| 記事一覧に戻る |