Opinion : 税制が国を滅ぼす ? (2002/3/5)
 

税務訴訟 (予定)」で「公開質問状」の末尾にも書いたことだが、「努力する者は報われない」「稼いでも税金で持っていかれるだけ」という認識が広く定着した場合、いったいどういう結果が考えられるだろうか。

ひとつは、納税者のモラルハザードと、不正申告や脱税の跳梁跋扈だろう。なにしろ、億単位の収入が課税庁自らによって斡旋された国税 OB の浜田某が、先頭を切って範を示してくれたのだから、同じことが国民の間に広まらないという保証はない。

すると、「税収減 → 税務調査の必要増大 → 課税庁が人員不足を訴える → 課税庁の人員増大」というわけで、不正申告の跳梁は課税庁のさらなる肥大化をもたらし、結果として課税庁の勢力増大というマッチポンプ的状況が発生する可能性がある。
そう考えると、実は税収減というのは国税庁にとっては好機なのかもしれないが、それも妙な話だ。結局のところ、単なる悪循環にしかならないのに。

もうひとつの可能性としては、優秀な人材の国外流出だ。日本では努力しても評価されない、報われないとなれば、海外に移住する、あるいは海外に事業の拠点を移す、といった格好で、優秀な企業や人材、そして資本が、どんどん他国に流出する可能性がある。すでに、業種によっては、その兆候がある。(たとえば、プロ野球界やサッカー界。IT 業界にも似た傾向が出てきていないだろうか)


逆に、こうした環境は、海外から優秀な人材を招き入れることも難しくなる。どちらにしても、いい結果が出る訳がない。何か手を打たなければ、最終的には投資先としての日本の価値下落と資本の流出、そして国家の産業基盤崩壊が起きるだろう。

いわゆる先進国では賃金水準が高止まりするから、製造業のようにレイバー・コストを無視できない業種が生産拠点を他国に移すのは、ある程度致し方ない。そうなったときに、頭脳労働者を主体とし、知的所有権などを経済の柱にするという行き方があり、アメリカは、その路線でやっている面がある。
しかし、これが成立するには、優秀な頭脳が国内に多数、定着しなければならない。それが、税制の迷走などによる「報われなさ」を理由に海外に流出したら、後にはいったい何が残るというのか。産業の空洞化どころか、国家そのものが空洞化してしまう。子供と年寄りだけが残されれば、空洞化どころか国家の崩壊だ。

つまり、今のようなやり方を続ければ、「税制が国を滅ぼす」ということになりかねない。国滅びて国税庁あり、では話にならない。そうなったときに、国税庁の関係者は何といって弁解するのだろうか ?
おそらく、彼等はまた、誰かに責任をなすりつけ「♪私はやってない、潔白だ♪」とリーク情報でも流すのがオチだろう。まさに「亡国官僚」である。

それだったら、彼等や、彼等の趣旨に賛同する連中だけで独立して、霞ヶ関の一角に「官僚共和国」でも作り、好き勝手にやってもらいたい。国民を、絞れば絞るほど油が出るゴマか何かと勘違いしないでもらいたい。

今まで、日本では官僚主導による一種の「統制経済」を運用し、機会の平等よりも結果の平等を重視するという共産主義的政策を採り、持てる者 (の中の一部) から収奪したものを他に配分するという図式で動いてきた。
高度成長期には、それでもさほど問題は出なかったが、右肩上がりの成長が続かないことが判ってしまった昨今では、そうもいっていられないハズだ。企業、あるいは国民の創意工夫とやる気を引き出すことができなければ、先に進めない時代になっている。そのひとつのツールとして、税制が利用できるハズなのだ。

くだらない規制は緩和しなければならない。規制あるところには許認可権が絡み、それは利権と癒着を生む。そんな状況下で透明性など確保できようはずがない。現に、日本の税制、あるいは税務行政の現場は、不透明なところだらけだ。他の分野とて似たようなものだろう。


日本では、何かにつけて官僚主導で物事が動く。これには、安易に「国が、国が」という国民の側にも責任があるのだが、すでに、このモデルは破綻していることが明らかになっているといえる。にもかかわらず、過去の成功体験への執着と組織の慣性が邪魔をして、官僚の側に自主的改革を成し遂げようとする気概は見られない。
(これを否定するなら、実績をちゃんと示すように > そのへん)

それなら、国民の側からあらゆる機会を捉えて、「それはおかしい」と声を上げなければならない。昨日の「『国が、国が』は、もうやめよう」にも書いたように、国民が政治家や官僚を見放し、問題をできるだけ自分で解決するようにしなければならない。

官房長官あたりは「日本の底力がどうのこうの」と調子のいいことをいっているが、それは何もせずに天から降ってくるものではなくて、先人たちの血と汗の結晶ではなかったのか。それが何の努力も工夫もせず、惰性で同じやり方を続けていても維持されるというのは、とんでもない思い違いではないのか。

「プロジェクト X」を見ながら過去の栄光に思いを馳せ、自己満足に浸っているヒマがあったら、これからの日本がどうあるべきかを、戦略的視点から考えるべきだ。その中で、税制もひとつの手段として活用し、国民一人一人のやる気や活力を引き出すことができなければ、国家を支える頭脳が本当に空洞化しても不思議はない。

日本という国のことを思えばこそ、あえて苦言を呈してみた。これが杞憂に終わればいいのだが、果たしてどうだろうか ?

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