Opinion : 子供の悪用に御用心 (2004/8/23)
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最初は別のネタを用意していたのだが、月曜日になって差し替えを決めたので、ライブが遅れてしまった。お詫びします。
日本では、戦争というとアメリカが起こした戦争しか話題にならないので、アフリカのあちこちで紛争が続いている話、あるいはそれを自力で解決しようとして AU (African Union) が乏しい予算と人員で必死になっている話を知らない人が多い。ルワンダのように百万単位の犠牲者が出れば、一応は話題にしてもらえるが、それでもたちまち忘れられてしまう。
嘘だと思ったら、そこらへんで街頭インタビューをやって、「AU」あるいは「ECOWAS」といった単語を知っているかどうか、訊いてみればいい。多分、「AU = 携帯電話の会社」といわれるのがオチで、ECOWAS なんて単語を持ち出した日には、目が点になる人ばかりではなかろうか。
ついでに、アフリカの地図を出して、ブルンジ、コンゴ民主共和国、コートジボワール、リベリア、シエラレオネといった国がどこにあるか、マーキングさせてみればいい。きっと面白い結果が見られるはずだ。
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そのアフリカの紛争でしばしば出てくるのが、「少年兵」の話題だ。てっきり志願するものかと思ったら、実は武装集団が学校なんかに押しかけて、子供をまとめて拉致してしまい、それを兵士に仕立てることも多いらしい。そして、基本的な銃の扱い方や戦闘訓練を施して、襲撃の先頭に立たせる。その際に、麻薬を使ってラリった状態にしてしまうこともあるそうだ。(もっとも、第二次世界大戦のソ聯軍も、ウォッカを飲ませて戦場に出したりしたらしいが…)
とんでもない話といえばそれまでだが、実のところ、子供というのは兵隊に仕立てやすい部分がある。
知識や知恵、見識といった部分で、人生経験の乏しさに足を引っ張られる。その分だけ、周囲の大人が "教育" した内容をそのまま受け入れさせるのが容易だ。日本も含めて先進国といわれる国でも、学校の教育内容に口を出す政治家が後を絶たないことが、この考え方が広く受け入れられていることの傍証になる。しかも、十代の半ばぐらいになれば、体力的には大人に近いといってよいから、その面でのハンデはない。むしろ、へたな三十代より使えるかもしれない。それでいて、三十代より十代の方が、従順で使いやすいと思われても不思議はなさそうだ。
だから、アジア・アフリカ地域の民族紛争では子供兵が問題になりやすい。そこに、取り扱いが楽で頑丈で信頼性抜群の AK ライフルや RPG が加われば、もう鬼に金棒ということになる。イスラエルあたりで多発している自爆テロにしても、若い子供を「聖戦」という言葉で煽って焚きつけ、突っ込ませている事例が相当に多いのではないか。大人なら「待てよ」と思ってしまうような煽り文句でも、子供なら真に受けてしまって不思議はない。
また、独裁者が徴兵年齢に満たない子供を活用する事例もある。これも、子供の方が従順で使いやすいし、子供に対して抱かれる "純粋" なイメージは政治利用にも都合がいいという背景があるはずだ。
現に、ヒトラー・ユーゲントという例がある。ヒトラーがどういう考えでヒトラー・ユーゲントを創設したのか知らないが、自分の名前がついているぐらいだから一種の私兵みたいなものだし、それを日本に派遣して独日友好のシンボルに仕立て上げた事例もある。挙句、出来損ないのジェット戦闘機に乗せて防空任務に就けようという企画まであった。
また、サダム・フセインも少年少女の合唱隊をテレビに出して、自分のことを賛美する歌を歌わせたりしていたと聞く。隣の国の金ちゃん親子はどうだろう ?
日本でも、沖縄戦で中学校や師範学校の生徒を動員した事例があるが、これはすでに兵役年齢の大人が不足していた事情があるためで、「子供だから動員して利用した」というのとは違うと思われる。あくまで「子供であることを能動的に活用した事例」と、「子供でも止むに止まれず動員した事例」は分けて考えるべきだろう。
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ところが困ったことに、子供を悪用するのは、何もアフリカの軍閥や独裁者に限った話ではない。日本でも、何か政治的なメッセージを吹聴する際に、大人が子供を前面に押し出して、メッセージを読み上げさせたりする事例が多々ある。はっきりいってしまえば、「反基地闘争」なんかのことだ。
子供向け商品なんかで、同年代の子供を使って CM を流すことの是非が話題になる場合があるが、見ようによってはもっと悪質な「子供の政治利用」に関して、苦情をいう人がいないのは変だ。もっとも、CM なんかの問題で苦情をいう人と、子供の政治利用を図る人が往々にして同じような思想の持ち主、あるいは同じ政党のバックボーンを得ている人だったりするので、これは無理からぬことかもしれない。
以前の記事で、子供は世間でいわれているように単なる純真無垢というものでもなくて、それなりに周囲の大人の歓心を買おうとするものだと書いたが、これを裏返せば、大人が子供の政治利用を図ろうとした際に、それに容易に染まる可能性があることを意味している。
実際のところ、世の中にはいろいろな考え方があるし、立場が変われば同じ物事でも違って見えるものだが、子供のうちはそういうことをよく理解していなかったりするので (経験談)、特定の思想に染まって、本人の意思がどうかということとは関係なく政治利用されてしまうケースは少なくなさそうだ。
主張している内容が正当で説得力があるものなら、当の大人がやればよい。なにもわざわざ子供を引っ張り出すことはないと思うのだが、そこであえて子供を前面に出すというのは、その方が世間にアピールしやすいのではないかという計算故のことと思われる。考え方があまりにもセコい。
つまり、大人がわざわざ子供を前面に出して何かするということは、世間一般に子供のイメージとしていわれている「純真さ」とか「素直さ」といったものを悪用している可能性があるというのが、残念ながら現実ではないかと思われる。
だから、軍閥でも市民運動でも独裁者でも、大人がやっている活動なのに、わざわざ子供を引っ張り出してきて振り付けを行い、前面に押し立ててアピールしているような事例があったら、背景を疑ってかかる方がいいのかもしれない。
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