Opinion : "安全" の主役は、あくまで人間 (2005/5/16)
 

なんだか事故に便乗しているようで気が引けるのだが、今週も尼崎事故の話から。


国土交通省が「ATS-P を付けなければ、運行再開は認めない」などとトンチキなことをいいだしたせいで、運転休止中の福知山線では、ATS-P の導入作業が進められているらしい。実質的には事故のせいで繰り上げになったというべきか。

もともと、福知山線では ATS-P の導入予定があったので、ATS-Sw による速度制御機能導入が見送られていた経緯があると聞く。たまたま、その予定より先に事故が起きたから叩かれる原因になってしまい、「ATS-P の導入を先送りした、安全軽視の JR 西日本」という話になってしまったけれど、それっていわゆる「後知恵の結果論」というものではないのか ?

そもそも、「ATS-P は速度制御の機能があるから、カーブで制限速度を守らせるために使える。だから、ATS-P を付けなければ駄目だ」という主張。一見、正論に見える。でも、福知山線以外のところにも ATS-P を導入しろ、という圧力になっていないところが妙だ。

日本の鉄道では、新幹線は別として、R300 の曲線なんて至るところにある。今回の事故現場のような、直線の先にきつい曲線という線形にしても、探せばなんぼでも出てくるだろう。曲線だけでなく、片開き分岐器の分岐側 (または Y 分岐器) を対象に含めれば、もっと増える。
一定以上の急カーブがあるすべての路線で ATS-P を導入して、機械仕掛けのバックアップを行わなければ運転を認めない、というのなら、まだ分かる。だが、対象が福知山線限定ということになると、「じゃあ、他の路線ではカーブでスピードオーバーしてもいいのか、事故の可能性を残したままでいいのか」という議論が出てくる。

「福知山線は事故を起こしたから」ということなら、大事故を起こさないと ATS-P を付けてもらえないのか、という話になりかねない。「過密ダイヤだから」ということなら、福知山線より 1 時間あたりの運転本数が多い路線はいくつもある。「全路線に導入するほどカネはかけられない」ということなら、ATS-P の導入率が低いといって JR 西日本を叩く資格なんてない。なんにしても、福知山線でだけ「ATS-P を付けないと駄目」とごねる理由にはならない。
こういうと国土交通省の人は否定するかもしれないけれど、実質的に、ATS-P 導入が「乗客を安心させるための象徴」になってしまっている。このせいで「ATS-P が導入されている路線なら安全」と、妙な勘違いをする人が出てこないとも限らない。


そもそも、ATS-P の本質とは、停止信号を冒進して先行列車と衝突する事態を防ぎつつ、車輌ごとの性能に合わせて算出した速度パターンに基づき、最適化した減速を行うこと。つまり、途中の信号現示に縛られずにムダのない減速を行い、それでいて、最後の赤信号でちゃんと止めることを目指している。その分だけ無駄が減り、安全を維持しながら運転間隔を詰められる。
だからこそ、運転間隔の短い都市圏で優先的に ATS-P が導入されているわけで、列車の密度が低いところに ATS-P を入れても、投資に見合った効果は上がらない、と考えるのが普通。

極端なことをいえば、単線の路線を 1 本の列車が行ったり来たりしているだけのローカル線に ATS-P を入れても、「先行列車」も「対向列車」もいないのだから、衝突する可能性はゼロ。そこに ATS-P を入れるのは壮大な無駄遣いになってしまう。
といっても、終端駅などで赤信号が出る可能性に備えた信号冒進対策や、運転士が急に倒れる事態への対策は要るだろうけれど。

この、速度をパターンに合わせる機能にからめて、運用で工夫すればカーブでの速度制御にも応用できる、という話に発展。そこから「ATS-P があれば安全だった」「ATS-P を導入しないのは安全軽視」という話に発展してしまっているわけだが、いささか飛躍が過ぎるのではないか。ATS-P を導入しないのは安全軽視だというなら、ATS-P を導入していない路線で、カーブでの速度超過に起因する事故が多発していてもおかしくない。たとえば、振子特急が爆走している北海道で、速度超過に起因する事故が起きたことがあったっけか ?

どうしてこんなアホなことになってしまうのかといえば、マスコミは往々にして、インスタントで分かりやすい解決策、つまり「○○するだけで問題解決」というシナリオを求めるから。それが、今回の場合は ATS-P に対する過剰評価につながっている。

ところで。これって、どこかで聞いたようなロジックじゃないだろうか。そう。IT 業界ではおなじみの「○○するだけでセキュリティを確保できます」という謳い文句。

そんなわきゃあない。以前にも書いたことだけれど。


交通機関の「安全」にしても、コンピュータの「セキュリティ」にしても、意味しているところの範囲は非常に広い。日常的に電車に乗っていても、クルマを運転していても、いろいろなところに危険が潜んでいる。コンピュータやインターネットを使っていても同じで、あまり意識しなくても、実はいろいろなところに危険が潜んでいる。

そうした危険は、ハード的な、またはソフト的な手段によって予防できる場合と、できない場合がある。また、危険を想定して事前に対策を講じているケースと、何か事故や事件が発生してから初めて、想定外だった危険性が認識されるケースがある。これをマトリックスにすると、こうなる。


想定していた想定外だった
予防手段があるN/A
予防手段がない×

まずい事態を想定していて、かつ予防手段があるのがベスト。これは誰でも分かる。想定外なのに予防手段を講じるはずがないから、これは N/A (Not Available)。
「想定していたけど予防手段がない」が「○」になっているのは、人間が注意することで、ある程度は防止できる期待が持てるから。ただし、その注意力が失われると、今回のように、まずいことになる。ある程度までの安全なら確保できる、というケースも、ここに分類できるか。
最悪なのは、想定外で、それ故に予防手段も用意されていなかったケース。

ATS-P に限らず、安全のために設置されるさまざまなバックアップ装置とは、あくまで「人間がミスする事態を想定して、対策として用意しておくもの」という位置付けになっている。だから、想定されていた通りの事態にしか対応できないのは当然のこと。人間がやるように、とっさに勘を働かせて臨機応変な対応を取る、なんていう芸当は、機械にはできない。機械は設計された通りの動作しかできないし、ソフトウェアはプログラムされた通りの動作しかできない。

そこのところを無視して、「バックアップ機器万能論」が幅を利かせるのは、むしろ危険ではないか。それは、人間が機械に依存してしまう危険性をはらんでいるから。これは、どこの業界でも同じこと。現に、普段は ATO を使った自動運転をやっている路線でも、いざというときのために運転士はハンドル訓練をやっているはず。

あくまで、人間が能動的に安全維持のための取り組みを行い、それを支える補助的手段、最後の一線を越えさせないためのバックアップ手段として機械を使うという方が、フィロソフィーとしては理に適っているように思える。そうしないと、人間の「安全に対する意識」が疎かになってしまう。

だから、過剰な自動化や機器に対する期待のし過ぎは、却って危険要因になる。
安全のためのバックアップ手段がもっとも乏しい乗り物といえば自動車だけれど、この業界では最近、ITS 導入で自動運転、なんて話が話題になっている。でも、個人的には大反対。制御された事態からの逸脱を防ぐための機械なら必要だと思うが、平素から自動化するのはむしろ、ドライバーの対処能力をスポイルすると思うから。

IT 業界では最近、フィッシング詐欺が大きな問題になっているけれども、怪しい Web サイトや spam メールと同様、受け手が「これって、なんか怪しい」と考えて真に受けないのが一番。機械的な、あるいはソフトウェア的な対策では、「なんか怪しいぞ ?」と勘を働かせるような器用な真似はできない。コンピュータは、どう逆立ちしてもカンピュータにはなれない。

事故でも災害でも、意地悪婆さんのように「想定外で、それ故に予防手段が用意されていなかったケース」を突くことで発生するケースが多い。そして、惨事が起きたことで危険性が認識されて、対策が講じられる。すると、今度は別の想定外の箇所が突かれて、また事故になる。そして対策を講じる。以下同文。

「安全」という言葉が絡むすべての事象は、こういうサイクルの繰り返しで少しずつ、状況を改善してきているものがほとんどではないか。そして、おそらくは終わりのないスパイラルになる。鉄道の運用規定や保安装置なんかが典型例で、百数十年の歴史の間に経験した事故やトラブルの教訓が、ぎっしり詰まって構成されている。航空機や潜水艦だって同じだ。

そのことを無視して、単に誰かスケープゴートを見つけて吊し上げたところで、あるいは今回の ATS-P に対する扱いのようにシンボリックで大向こう受けのしやすい対策ばかりをフィーチャーしたところで、それで安全が手に入るとは思えない。


ついでに嫌味をひとつ書くと。
マスコミも世論も忘れっぽいから、事故の直後は大騒ぎして「○○が良くない」「対策として△△を導入せよ」と騒ぎ立てていても、何か別の大事件が起これば、あっという間に忘れ去られてしまう。新潟中越地震のときに「新幹線はスピードの出し過ぎだ。スピードダウンする勇気を」と書いていた新聞があったけれども、数ヶ月経ったら、あっという間に忘れ去った。

今では誰も「安全のために新幹線のスピードダウンを」なんてことはいわない。もちろん、「地震で脱線したのに新幹線のスピードを落とさない、安全軽視の JR 東日本」といってバッシングする新聞も TV 番組もない。

多分、今回も同じことで、「JR 西日本では ATS-P の導入率が低い」「アーバンネットワークは過密ダイヤだ」と、あることないこと騒ぎ立てていた話なんて、あっという間に忘れ去られるのではないだろうか。

でも、安全を実現するためのスパイラルを持続させる観点からいうと、この手の忘却や慣れが、いちばん怖い。事故・災害は、忘れた頃にやってくる。
かなり以前の「鉄道ジャーナル」誌で、新幹線総局に在勤していた斉藤雅男氏が、どこかの駅で「チェックリストの内容を覚えることは禁じている。必ず見ながら確認するように」と訓示する話を読んだことがある。リストの内容を覚えてしまい、記憶に頼って確認するようになったら、チェック漏れが発生する可能性があるからだ。

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