Opinion : 日本でいちばん軍隊に近い場所 (2005/8/15)
 

杉並区で勃発した教科書騒動についての個人的意見は、すでに「言論封殺はいかんだろう」で書いた。教科書の内容に口を出している時点で、「つくる会」への賛成派も反対派もある意味、同類といえる。
もっとも、「平和」という言葉を押し出している割には戦闘的なことばかりやっている反対派の方が、なんだか悪質そうだが。個人的には、大音量のスピーカーを持ってきてシュプレヒコールをあげる人って信用できないのだ。

そもそも、教科書の内容が気に入らないなら、できることはいろいろある。何も、学校で教わることだけが唯一絶対の正義というわけではないのだから、家庭で "歴史教育" をすればいいのだ。言葉で話して聞かせるもよし、自分の主張に合った内容の本で書架を埋め尽くすもよし。もっとも、無理強いして、却って子供に反発されるかもしれないけれど。(杉並区なんかで、この件で抗議しているのが "生徒の親" 以外の人だったら実現不可能だけれど :-p)

第一、その教科書を検定したのは文部省なんだから、教科書の内容に問題があると思うなら、まず文部省に文句つけるのが筋。多少のベクトルの振れはあるかもしれないが、文部省がオーケーといったものであれば、一定の範囲内に収まっていると見ていいのではないか。その "一定の範囲" が時代背景によってぶれることはあるにしても。
もっとも、あの人達やこの人達が「つくる会」の教科書に反対している理由が、内容とは無関係の、また別の場所にあるんだったら、こんなことを書いても意味はないかもしれない。

だいたい、「戦争賛美の教科書」とか「子供を戦争に送る教科書」とかいってみたところで、そもそも、近代史の授業に使っている時間なんて、ロクにありゃあせんだろうに。

我が身を振り返ってみると、よくいわれる「学校の教師に『北朝鮮はこの世の楽園だ』と教えられた」といった類の話は経験していない。ただ、私が通っていた高校の国語科は左翼教師の巣窟だったので、左翼的思想を礼賛する発言が授業中にチラチラ出てきたことはあったと記憶している。

もっとも、私は小学校低学年の頃から戦史書を読み始めていたという、筋金入りの軍ヲタ。これでは左翼教師が頑張っても効果は薄い。
自宅には、父親の趣味で買い集められた戦史書がいろいろ並んでいた。その戦史書の山をいろいろ読み比べてみると、同じ出来事でも書き手によってニュアンスが違うし、書かれている内容そのものが食い違っていることもある。自分が信じてきたことをぶち壊しにするような記述に遭遇して、混乱したこともある。歴史と向き合う際のフィロソフィーは、こういう経験を通じて、知らず知らずのうちに身についていたのかもしれない。


それはそれとして。
教科書の内容についてどうこういう前に、そもそも日本の学校自体が軍隊的な体質を備えているんじゃないの、と突っ込んでみたい。以前にもどこかで書いたような気がするけれど、そのことを象徴するような経験があるので、また書く。

私が通っていた小学校では、2 時限目と 3 時限目の授業の間に全校生徒がグラウンドに出て、音楽に合わせて体操することになっていた。最初は、これが終わった後は解散して、皆がワラワラと昇降口に向かっていたのだが、途中から、音楽に合わせて行進しながら校舎に戻るように改められた。なんとなく、嫌ぁな感じがしたものだ。
当時、まだ 10 歳かそこらだったが、子供心にも「教師というのは秩序だった外見を重んじる人種なんだな」と思ったわけだ。いいかえれば、ワラワラと教室に戻るのは無秩序に見えて気に入らないのだろう、と。

そういう視点で見ると、日本の学校というのは往々にして、共産主義国の政府や軍隊なんかが好きそうな行動を生徒に取らせる。はっきりいってしまえば、「赤の広場」や「天安門広場」の軍事パレードみたいな、一糸乱れぬ統一行動が好きだ。教師の命令一下、隊列を組んで歩調を揃えてチャッチャッチャッと歩くのはオーケーで、各自が自由意志に基づいて好き勝手に動くのは NG。
校則で靴下の柄や長さまで細かく決めるのも、こういうメンタリティに立脚しているのか。(だったら、あの短すぎるスカート丈をなんとかしてくれ)

秋が来て、体育大会なんてことになると、例によって全校生徒が入場行進をやる。そして、来賓席の前で右手をさっと斜め前方に上げるよう命じられる。たまたま私は戦史好きだから知っていたが、これではナチ式敬礼と間違われそうだ。ドイツでこんなことをやったら、一発で捕まってしまうぞ、多分。「頭ァ、右」でいいだろうに。

ついでに偏見丸出しで書いてしまえば、特に体育教師というのは精神論満載、努力と根性で何でも乗り切れると思っている、現代に蘇りし辻政信みたいなのが多いように思える。先に、高校の国語科が左翼の巣窟で云々と書いたけれど、それとは相容れそうにない人種が同居しているのが妙だ。もっとも、中国や北朝鮮みたいな共産主義独裁国家であれば、両者は無理なく共存しているような気もするが。

だいたい、運動部の人達はたいてい、ランニングする際に「ファイト !」「ファイト !」と掛け声をかけている。実に戦闘的だ (笑) 「たたかい」という言葉が大好きな共産党にソックリだ。どうせならもっと徹底して、ハートマン軍曹みたいに歌でも歌ってみたらどうだろう。

昔だったら、こういうやり方も「軍隊に入る前の予備教育」ということで意味があったと思うが、今の自衛隊は志願制。日本に限らず、徴兵制を止めて完全志願制に移行するのがトレンドで、いまどき、新たに徴兵制を導入しようなんて考えている国は、(少なくとも先進国の間には) 存在しない。
「社会に出たときに備えて集団行動に馴染む必要がある」? 生憎と、高校を卒業した後で、一糸乱れず隊列を組んで行動する必要が生じたことなんてないのだが。よしんばその必要があるとしても、常に隊列を組んで行進させる必然性にはつながらない。

こんな調子だから、学校で教師に「平和教育がどうの」とか「教え子を戦争に送るな」とかいわれても、どうも信用できないと思ってしまう。だってそうでしょう。その教師が取り仕切っている世界こそが、もっとも軍隊的、独裁国家的なんだもの。なにげに体罰、あるいは体罰まがいの行為も横行しているみたいだし。
しかも、それでいて「君が代斉唱反対」などといっていたりする。じゃあ、斉唱するのが「インターナショナル」や「東方紅」だったらいいのかな ?


もちろん、ここで書いた内容は個人的経験に立脚しているから、ときには「いや、自分が通っていた学校は違った」という反論が出てくることもあると思う。実際、ビックリするぐらい生徒の自主性を重んじて、生徒を信じる形で運営されている学校があるという話も聞いている。
ただ、全体的な傾向としては、生徒に対して何かと軍隊的な行動を取らせるのが好きな教師が多いのではないかと思える。そして、そのことにイチャモンをつける「親の会」というのは聞いたことがない。なんかしっくりしない。

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